映画百本
老いても子を従え
『インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国』
Indiana Jones and the Kingdom of the Crystal Skull
監督:スティーブン・スピルバーグ
2008年/アメリカ/2時間2分/カラー/シネマスコープ製作総指揮:ジョージ・ルーカス/キャスリーン・ケネディ
製作:フランク・マーシャル
撮影:ヤヌス・カミンスキー
脚本:デヴィッド・コープ
音楽:ジョン・ウィリアムズ
衣装:メアリー・ゾフレス
出演:ハリソン・フォード/シャイア・ラブーフ/ケイト・ブランシェット/カレン・アレン/レイ・ウィンストン /ジョン・ハート
今年75歳という三浦雄一郎氏が、2度目のエベレスト登頂を果たしたのは5月のことだったか、現時点ですでに慢性的な疲労に悩まされているような、氏から見ればまだまだ若造の僕にとって、それはとてもじゃないが真似出来るもんじゃない、むしろ事件として強く印象に残っているくらいなのですが、しかし元気な姿を見せてくれる人生の諸先輩方を見ると、単純ですが少しばかりエネルギーを分けてもらえるような気がします。こんな話を持ち出したのは、感想文を書くにあたり、映画鑑賞時にはまるで気にもしていなかったハリソン・フォードの実年齢を確かめて愕然としたからなのですが、何と彼もすでに65歳だそうな。
確かに、本作はアクション・アドベンチャー映画というジャンルに括られるものではあるけれど、では果たして主人公のアクションぶりはどうだったかと思い返せば、なるほどさほどジャンルから要請されて然るべきアクロバティックな動き、というレベルのものを展開していたようでもない気もします。しかしそれはハリソン・フォードの年齢を考慮して抑制されたものと考えるのはどうか。いや、派手に動き回らなくて当然、そもそも主人公は考古学者、副業として冒険家も兼ねてはいるけれど、決して「ヒーロー」ではないのです。
しかしただの考古学者を置いただけでは物語の展開もままなりませんから、ヒーロー的要素を盛り込むことになるのですが、最もそれを引き出しやすい手段として「敵」を配置することになります。つまり善と悪の二項対立の導入により、スムーズに物語を展開させることが可能になる。今回は時代設定上、名実ともに仮想敵国と言えるソ連が使われるのですが、すでに歴史上「不戦敗」している事実に支えられていることもあり、手玉に扱える「悪」として最適な敵国と言えます。
ところが昨今、現実においてもフィクションの世界においても、善悪を区切る境界線が全体に曖昧模糊としているのは、世間一般にも当たり前のように実感できている。次々に生み出されるヒーローが、物語を速やかに展開させる二項対立を、皮肉にも自身の内側に見出して葛藤してしまうという内省的傾向は、今さら数多く使い古されたもので面白くもなんともないのですが(あえて本作で内省葛藤のメタファーと言える部分を指摘すれば、主人公が自国の当局から共産主義者として監視されるところや、忠犬マックの仕えるご主人が、実は資本主義だったりとか)、さて、本作においてはそんな悲愴感など皆無、むしろラテン系とも言える明るさが全体を一貫している、その理由は実に明解です。
主人公の口から「正義」という言葉は一切出てこないばかりか、そもそもソロで女好きの彼は別に特定の「愛する者(ないしは家族)を守るため」に戦っているわけでは全く無いのです。結果的にそうなるとは言え。
実のところ、つまりここには善や悪が不在であることに気付くのですが、では二項対立無きところで、何を糧に物語は展開していくのか。彼等を突き動かすもの、それは純粋な探求心です。「ここに一つの謎がある。お前はそれを解くことが出来るか?」とけしかけられて奮い立つのが考古学者の主人公であり、またソ連の女性科学者である。もし観る者が彼をヒーローと呼ぶのなら、それは悪を蹴散らし懲らしめたからではなく、謎の片鱗を解き明かしたからなのです。新しく与えられる知識、言い換えれば新しい価値観は、何にも代え難い喜びとなることを気付かせる。そのような喜びを与える者をヒーローと呼ぶことに対しては、僕は何の異論もありません(その意味で、三浦氏は75歳のおじいちゃんヒーローと呼べます)。物語中、主人公が青年の学校中退について激しく立腹する場面は、如何に彼が知識を重んじているかを窺わせていて…笑えます。
そんなこんなを書き連ねて、実際のところ本作で注目すべきは、やはりカーチェイスの場面ではないかと。もし映画の中にカーアクションがあるのなら、役者の演技より車の演技を観ろ、というのは一つの個人的な信条です。また、カーアクション場面における演出で、その国がもつ映画文化のレベルが知れたりします(例えば市街地アクションにおけるロケ地の協力姿勢とか)。もちろんカーチェイスにも様々な見せ方があるのですが、本作では森林でのそれに、より特徴が出ているのではないかと。最初の市街地でのカーチェイスとは違い、その場面で車はほぼストレートな道筋を直進移動するだけ。つまり、追いつ追われつの状況で、相対的に搭乗者は敵味方共に「静止状態」にある。彼等が静止した二つの箱の上で見せるシーケンス、立ち居振る舞いが、如何に観客を「愉しませる」ことに注力して練り上げられているかを見ると、映画業界とは無関係な僕もただただお気楽に笑ってばかりは居られないと思うのです…(いや、実際はゲラゲラ笑ってましたけどね)。


