放談ラジオ音響系

読後のつぶやき'08:2月分

 先月はいろいろドタバタしていて読書量は少なかったのですが、切りが良いのでご紹介。そんなわけで、月極企画となりました。



宇宙を計る

 不思議なのはビッグバンという言葉とその意味をいつ何を通して知ったのか覚えていないということです。おそらく小学生の頃には概念として知っていたように思いますが、実際ビッグバンって何なのよ?と問われて正確に答えることが出来ない…。本書はそんな「知っているようで知らない」ビッグバンにまつわるドキュメンタリー。先月に紹介した『フェルマーの最終定理』に続いて、サイモン・シンによる熟考された構成と、時にユーモアを含む文章に冒頭からぐんぐん引き込まれます。

【fig.1】『ビッグバン宇宙論(上・下)』サイモン・シン著:青木薫訳/新潮社/2006年/298p・284p/各¥1,680(税込)

 例えば驚きなのが、「ビッグバン」という言葉そのものの由来です。そのエピソードは本書においてもハイライトの一つなので、ここでネタバレするわけには行かないのですが、僕の中で長い年月誤解していたのは、その概念の提唱者がアルベルト・アインシュタインであるというもの。もちろん彼の特殊・一般相対性理論はビッグバン・モデル提唱の一部で役に立っているのだけれど、アインシュタイン自身は凝縮された一点の爆発によって宇宙の時間が始まった、という発想に当初「異」を唱えていたのです。正確にはビッグバン・モデルの提唱はジョージ・ガモフとラルフ・アルファーの二人によるものです。まだ驚きは続きます。世界はつい最近まで、ビッグバン・モデルと定常宇宙モデルのどちらが正しいのか揺れていた。最も衝撃的だったのは、その二つの相反するモデルの争いにようやく終止符が打たれたのが、1992年だったという事!え〜日本でバブルがどうのこうのって言ってた時ですよ、まだついこの間の事じゃん。これ以外にも測定結果について解釈を一切行わなかったハッブルとか、哲学的美意識が如何に科学者を迷わせるかとか、紹介したくてムズムズするようなエピソード満載。それらについて書いていたら、本来このサイトがMac mini繋がりであることを忘れてしまいそうになるので割愛。

 宇宙は一体どのような姿をしているのか。本書を読み進んでいく過程で改めて気付かされたのは、「観測・測定」の重要さ。あたかも数学・物理的アイデア一発勝負のように思えるビッグバン概念も、ようやく最近になって多くの科学者から支持を得られるようになったのは、地道な観測・測定があってのこと。全ては「距離を計る」そこが出発点なのです。そこに興味を持たせるには差し当たって、日頃お世話になっている太陽までの距離を計ってみよう、と問うてみる。条件として、現在地上にある測定器やコンピューターを全て破棄したうえで。さあ、どうしますか?いやぁ〜、残念ながらどうすりゃいいのか全く分かりませんよ、僕は。ヒントとして、まず太陽より先に月までの距離を導いておく事。…余計分からなくなってしまいました。
 本書の第一章では、紀元前三世紀、古代ギリシャに生きた3人の科学者による科学的思考と測定によって、太陽までのおおまかな距離が導かれていたことが書かれてあります。

追記:フレッド・ホイルの「人間原理」には意表を突かれました。論理的思考によって宇宙を捉えることも、測定と同様もちろん必要だったという事で。いやあ〜面白かったです。スケールがデカ過ぎて、俗世の小さな悩み事なんて吹き飛ばしてしまうので、オススメ。

写真集もアリということで

 純粋に読書となると、2月は上で紹介したビッグバンだけになってしまうのだけれど、それだとちょっと誌面が寂しいので、写真集もアリということにします。がしかし、セクシー系などあっち方面は買っても紹介しません。なんだそれ。さて、写真やカメラと言えば、遅れてやってきた久々の僕の中でのブームなのですが、撮影行為自体に関心を持つ事のきっかけになったのが、'05年にこのサイトを開始するにあたってMac miniカスタマイズの作業工程をレポートする為だったというのは、知る人ぞ知る事実だったりします。そんな2005年の12月(もう2年以上前か!)、写真家特集を組んでいたpenを見かけて、何となく手に取りました。500円だったし。

【fig.2】なんとなく買った2005年12月のpen、写真家特集。

 ただ目の前にあるものをカメラという機械を使って撮るだけなのに、どうして人によってこうも作風が違ってくるのか、僕にはとても不思議だったのです。表紙に並んでいる15人のフォトグラファーの名前はほとんど知らなかったけれど、早速パラパラとめくってみました。そして、そこに掲載されていた多くの写真の中で、最も鮮烈な印象を受けたのがジョナス・ベンディクセンの " The Spaceship Junkyard " に収録されている『アルタイ』という作品【fig.3】。完全に魅了されました。

【fig.3】こ、これはスゴイ!と思った写真。

 しかし発表は2000年ということらしいし、その " The Spaceship Junkyard " とやらも何の事かよく分かりません。写真集だとしてもどこも扱ってないし、たぶん今は入手不可能なんだろうな…と諦めていたその時であーる!

【fig.4】『SATELLITES』Jonas Bendiksen/aperture foundation/2006年/¥5,145(税込)

 タワレコ新宿店の輸入本コーナーで全くの偶然に発見!表紙がそのままソレだったのが幸い、もしこれ以外の表紙だったら絶対気付かなかったと思います。値が張りましたが、このチャンスを逃せばもう手に入らないだろうと購入。さてこのショット、ちょっとふざけると、雪の降るなか二人の男の子が鉄屑の上で戯れていて、一人は立ち小便しているようにも見えるのですが、何と鉄屑の正体は有毒な宇宙船廃棄物。左の男の子はその廃棄物に絡んでいる配線を引っ張っているのです。つまりこれはファンタジーやコマーシャルの一部ではなく、フォト・ジャーナリズム「報道写真」なのです。それだけでも驚きなのですが、しかし、あたかも雪か花びらのように見える無数に飛び交う白い「蝶」が、その極めて危険な状況を相殺してしまっている(ように僕には見えます)。この作品から、いわゆる汚染物質廃棄による環境問題云々…という言説を導くことは可能なのでしょうが、正直言って僕はこのショットの持つ「美」だけに惹かれました。ここからあれこれ意味や解釈を引き出そうとは思わないのです。
 本書にはジョナス(今年でまだ30歳!)がユーラシア大陸を横断しながら撮影した風景や風俗が収められています。『アルタイ』はロシアでの出来事なのですが、どうしたらこういう魅惑的なショットを捕えることが出来るのか?それは僕に欠けているものに違いないと考え、導き出した答えは二つ。「偶然そこに居合わせる才能」と「チャンスを逃さない才能」です。

【08/3/2更新】