放談ラジオ音響系
読後のつぶやき'08:5月分(1/3)
今なお選択と集中を推し進めているフリフリですが、基本的に移動時間を利用している読書に関しては、それが廃止されることは無さそうです。

それは環境にクリーンなメガトン爆弾
毎年繰り返されるように、この季節、雨の日が多くなりました。来週にはこの辺りも梅雨入りしそうな気配ですが、多少の変動はあれど一年と言う周期的なリズムの上で起るなだらかな変化なので、こちらも慣れたもんです。しかし全く予期出来ないタイミングで突発する破壊的な現象もある。その代表と言えばそれは「地震」です。
【fig.1】『マグニチュード10』アーサー・C・クラーク&マイク・マクウェイ共著・内田晶之訳/新潮社/1997年/652p/¥781キャラクターを明確にするために最も効果的で簡単な方法は「敵」を設定する事だったります。空想世界のファンタジーにしろ、現代を舞台にした物語にしろ、敵がいることによって主人公の輪郭が形作られる。もちろん架空のストーリーのみならず、現実の世界においても同様、また一個人を越えたスケール、例えば国家というレベルにおいてはむしろ積極的に利用されるテクニックだったり。社会にある程度のストレスが生じている状況で、適当な敵国家(仮想でも可)を設定してやれば、大衆を任意の方向へ誘導するのは割と容易いものです。
地震を扱う物語の場合、それが不意に襲ってきて幾多の大都市が大混乱に陥り、その状況から如何に脱出するかというパニック物、あるいは科学者が主人公なら、大地震発生を事前に予知し、地図を描き直す必要に迫られるような壊滅的損害を未然に(多少の犠牲は伴うけれど)防ぐようなSF物が思い浮かびます。しかし科学者が主人公である本作では、地震は高度な情報解析によって「予知可能なもの」として扱われるのですが、それ以上に重要な役割を担っているのです。つまり主人公にとって地震は「敵」である。
もちろん自然現象である相手に「敵意」が無いにせよ、その行為がこちらに損害を与えるのであれば、それに対峙する時の態度は二通り考えられます。一つは、逃げる(地震予知を含む)。そしてもう一つ、これについては僕は全く思い付かなかったのですが、それは敵を殲滅すべく攻撃するという能動的態度です。
中盤辺りにようやくその攻撃の手段が明らかにされるのですが、それは主人公が自ら「恥ずべき高揚感」を感じてしまうほど、非常に過激でアクティブな発想です。果たしてその先制攻撃は成功するのか。
上述した通り、共通の敵を設定すること、それが巨大であればあるほど、民衆を結束させるのに大いに役立ちます。相手のスケール次第では、もしかしたら国境や人種を越えて団結は固まる可能性もある。しかしながら人間の敵とは、やはり人間なのかもしれません。地震は太陽と月の動きに支配された僕等の生活リズムとは全く同期のズレたタイミングでやって来る。そんないつ来るか分からないヤツの事など、僕等は気にしている暇は無いのです。
結局のところ、人が気まぐれな地震の攻撃をかわすことが出来ない、つまり予知出来ないとなれば、普段から小動物の観察を欠かさず、その挙動に注意しておくのが一番利口で手っ取り早いのかもしれません。ナマズやヒキガエル等が本当に地震を予知出来るのかどうか確たる証拠はありませんが、地震先進国である日本でさえ、その方面では散々な状況であることは先日も立証されてしまいましたし、たとえ的確に事前予知できたとしても、たかが本番10秒前で、一体どうしろと言うのでしょうか。幸いなのはパニックを起こす余裕さえ無いということです(あ、それは予知が出来なかった場合も同じか)。
実際のところ、重要なのは運とタイミング。その時、自分が何処に居るのか。家屋内かガラスの張り巡らされた高層オフィスビル街を歩いているのか、それとも極めて脱出・救出困難な地下鉄(しかも大江戸線)に乗り合わせているのか。もしくは耐震偽装マンションで家族と共に就寝中なのか…。
個人的な事を言えば、僕は極めて見事に「運の悪いタイミング」に居合わせる人間だったりします。

