放談ラジオ音響系
読後のつぶやき'08:7月分(1/2)
夏ですね。夏ですよ。もう、それ以外に言うことなんて無いじゃありませんか。だって、暑いんだもの。

希少本を手に入れる1
数年前に近所の本屋の本棚で背表紙を見かけて、その題名に何となく引っ掛かって、そうこうしているうちにその書店から消えうせ、そして何かのきっかけで何が書いてあるのか、ちょっと読みたくなったなと思ったら、すでにどの書店でも入手不可となっていたのが、今年の初めくらい(amazonでは数万円のプレミアが付いていた)。
【fig.1】『寛容について』マイケル・ウォルツァー著:大川正彦訳/みすず書房/2003年/205p/¥2,940それからまたしばらく忘れていたのだけれど、ある日なんとなく紀伊国屋のウェブ検索をかけたら、偶然少量を再入荷してました。そこですぐに取り置きしてもらったという次第。
タイトルを読むと、何かしら道徳的な内容の指南本みたいだけど、著者はユダヤ人の社会学教授で、社会において寛容がどのような構造で組み込まれているのかを考察しています。しかし文章自体は簡素で分かり易いけれど、社会学の何たるかということに全く疎い僕には、当然その分野の文脈で考える経験が乏しいこともあって、読み進んでいく途中で何度か立ち止まりました(例えば宗教的な権威は少なくとも潜在的に不寛容である、とは普段考えもしません)。まず5つの体制モデル(多民族帝国・国際社会・多極共存&連合・国民国家・移民社会)における寛容の在り方について考察し、さらにフランスやカナダ、イスラエルなどの事例を考察し、そして最後にアメリカ多文化主義への省察を行う…という流れになっています。アメリカはその形成からしてやはり特殊というか、ハイブリッドな国家ですしね。
寛容には必ず流れる方向がある。国の状況によって様々だけれど(5つの体制モデル)、それはマジョリティからマイノリティへの流れであったり、権力から末端であったり、あるいはジェンダーや宗教にある境界線だったり。そして寛容の対象は、それぞれのケースにおいて、集団であったり個人であったりする。寛容という言葉のもつ印象とは対照的に、そこに厳然と横たわるのは「差異」なのです。
おそらく僕が本書を読み始めるまえに漠然と求めていたのは「寛容が形成されるプロセス」についてなのだと思うのですが、そこからはちょっと的が外れていた感もあります。少々粗っぽいというか、テクニカル(?)な分類のように感じなくもないけれど、しかし一言、寛容と言っても、普段はここまで多様なケースでの社会学的寛容を考えたことが無いので、これまで動かしたことのなかった筋肉を使ったという感じもしたりして、今回の読書はこれはこれで新鮮な経験でした。
さて、本書が書かれたのは1997年、著者が最後に引き出すキーワードは「社会民主主義(ソーシャル・デモクラシー)」です。それから世界はまたドラスティックに変容したようにも思うのですが、では今後、寛容はどのように必要とされ、そして運用されていくのか興味のあるところです。ちなみにこれを書いている今日、渋滞学を研究している西成活裕東大准教授が、車間距離を40メートル以上取って渋滞の発生を抑える運転方法を、週末に実験するというニュースがラジオで流れてました。理論上40メートルの車間距離があれば、ブレーキを踏む連鎖が生じることを防ぐことが出来るそうな。なるほど、これは幹線道路における「寛容」の実験とも言えるな…と思ってしまいました。

