連載第32回
2009年2月2日
米新大統領誕生によせて雑感

 突然ですがタイトルに「雑感」と書いた言い訳をしておくと、確かこの映画を観たのは2005年の2月頃だったか、つまり、本作はおそらくブッシュ前大統領の再選阻止を目論んで制作されたものの、その甲斐なく前年にはすでに彼は再選を果たしていた(歴史的にみても一般に、戦争状態の中でリーダーを取り替えることはまずあり得ないと予測されてましたし)その後に、かつ、まるで米大統領を選ぶ権利を与えられていない遥か東方の小さな島国で鑑賞したからです。確かに他国の映画祭で受賞した話題のおかげでドキュメンタリーとしては記録的な興行収入を得たらしいのですが、もし映画の力で大衆を啓発できると思ったのならそこに監督の蹉跌が、わざわざ映画館へ足を運ぶ人の数より、居間でくつろぎながらFOXTVをぼんやりながめていた人の方が断然多かったに違い在りません。そんな感じで、既に本作が存在する意味があるのかどうかさえ疑わしい、上映した映画館と僕自身のスケジュールの都合とは言え、まるでズレてしまったタイミングで本作を鑑賞し、それからさらに4年という年月を経て主人公であるブッシュは任期切れにより表舞台から退場、オバマという新大統領が誕生して10日以上経過した今となってはもう、雑感としてメモを書き残しておくくらいのことしか出来ません(すでに記憶が薄れているというのも理由ですが、唯一劇場内で印象に残っているのは、近所から出向いたとおぼしき歳を召した白髪のお婆ちゃんが、何か起る場面毎に「ひゃあぁ~」と悲鳴とも溜息ともつかない音を発していたことです)。

 中学1年生の頃、社会の授業で教えられたことで今も強く印象に残っているのは、文明と文化の違いについてシンプルに先生が語った「時として文明は文化を滅ぼす」という一言。それまでは文明と文化の違いなんて考えもしなかったというか、(語感から)どちらも同じ進歩的なものを指し示していたように一括りにしていたところ、一方は片方を全く壊滅させてしまう可能性もあるというのは、確かに分かり易い説明でした。その次に何となく印象に残っているのは、社会共産主義国家と資本民主主義国家の対比。それらについてどのような説明がされたのかはもう覚えていませんが、日本は後者に当たる故、何となくそちらの方が正しいのだ…というニュアンスが授業中の空気から感じられたのは確かです。果たして現状を鑑みるに、それらは今でも有効なのでしょうか。

 高尚な理念を掲げたものの、それがバタバタと倒壊していく様子が僕の短い人生の間にもいくつか目撃されたように、社会共産主義というのはまだ未熟な人類にとっていささか勇み足だったようですが、では逆に資本民主主義というものが正義なのかどうかという疑問も沸き起こった、それが本作を観た当時の印象として残っています。文明が文化を滅ぼすように、もしかしたら資本主義も民主主義を骨抜きにしてしまうものなのかもしれない…、これまで社会・経済学なんて専攻したこともなければ、関係した書籍に目を通したこともない、基本的なところがまるで分かってない僕にとって、それは今もただの「印象」でしかないのですが、この4年の間にどんどん下がっていったブッシュ政権支持率、そしてダメ押しのように訪れた金融危機、それらは資本民主主義というゲームの規則がいよいよ疲弊し始めたことを示してはいないか。

 民主主義と各国で活用されている各々の選挙制度は、いわば「たとえどんな結果になっても、みんなで納得しようね」というルールでしかありません。だからこそ支持率を下げつつもブッシュは任期満了まで大統領でいられたのだし(だって自分たちが選んだんだしね)、ヒラリーと激戦を交えたオバマ新大統領も、彼女を国務長官としてチームに取り込むことが出来たのです。そう言えばナチスも別にクーデターを起こして政権を奪取したわけではなく、正規の選挙ルールに則って誕生したんでしたっけ。民主主義による選挙は決して「善き」結果を生むシステムではなく(相対的に正しいと取れるものを選択する可能性はあれど)、たとえそれが自分の意思に反していても、やはり出た結果について文句の言えない仕組みになっている「出た結果みんなで納得システム」なのです。そしてその制度を支えているのが、人間本能に基づいてドライブされている資本主義、そんなシステムに潜在的欠陥があるのは当たり前です。

 オバマ新政権誕生に関してとりわけ多く見られるコメントは「歴史的、初の黒人大統領の誕生」故に「そんな彼を選んだ米国民は素晴らしい」といった類のものです。余程前政権に懲りたか、期待が大きかったのでしょう。しかしこれは民主主義下における選挙制度の前では何ら特別なことでありません。「出た結果みんなで納得システム」の前では誰にでも公平にチャンスは与えられているはずなのですから。「選択した米国民は素晴らしい」というのも、結果的には正しくなかったとされている判断を前回の選挙で自分達で選択しているのですから、今回の場合が仮に正しいとして相殺されてしまうというか、実のところだだのマッチポンプという気がしないでもありません。これを書いている現時点で言えることはとりあえず「リーダーの見た目が変わった」「賛成派・反対派共に今のところ結果に納得している」の二点に過ぎないと言えます。つまり、今後まだ4年以上に渡る成り行きを注視してみなければ、今回の選択も正しかったかどうかは分からないのです。

 そこで改めて、ブッシュ批判でもムーア批判でもなく(もはやこのタイミングでは大して意味も無いですし)、またはアメリカ国民批判というような的外れな指摘を超え、さらには「変われることが素晴らしいのだ(ルールの内側だけど)」というある意味思考停止に取れるところも超え、その集団を形作っている大枠の制度に向かって、果たして資本主義や民主主義に置き替わるような、もっとあり得るべき理想の人間社会に最適化された新システムがいつか開発・発明されるのかどうか、という問いが起るのです。昨年末に起きた金融危機が、そこに関与する人々の「建前」への信頼を失った結果なら、今運用されているリーダー選出のルールは信用するに値する、という建前への信頼が失われた時に何が起るのか。もちろんその問い掛けはこの日本にも適用可能、未知なるイデオロギーへの変更はさておいても、下位レベルにある選挙制度くらいはまだ広く改善の余地があるはずです。今はただ「出た結果みんなで納得システム」に納得している状況でしかありませんが、期待される未知のルールはおそらく僕の生きている間には発見されないと思われるものの、将来全く予想もしなかった方角から突如としてもたらされることがあるかもしれません…。例えば、ケンタウルス座はアルファ星系からとか。

ひと言メモ

監督:マイケル・ムーア(2004年/アメリカ/112分)ー鑑賞日:2005/01/30ー

■雑感と断っておきながら、ダラダラと長くなってしまったのですが、書き残しておきたかったメモは最初と最後のパラグラフ二点だけだったりします。
■この映画は大仰に掲げたそのタイトルのわりにはSFじゃないので、感想文はSFっぽくまとめてみました。しかし何ともまあ、無責任にも遥か遠い未来に思いを馳せた雑感となりました。
■資本主義も民主主義も選挙制も実は多種多様ですが、ここは大ざっぱにひっくるめて、鑑賞後に残った印象に対する雑感ということで。