必要に迫られて映画を撮る羽目になるショップ店員の様子をコミカルに描いた本作は、どちらかと言えば映画を作る行為そのものへのオマージュが込められています。全体として決して上手く成功している作品とは思わないのですが、しかし、やがて映画を作ることの楽しさに目覚めていく彼等の歓びは十分に伝播する。「女優」をスカウトしにクリーニング店を訪れたコンビが、狙っていた姉妹の(美しい)姉ではなく、ちょっとイケてない感じの妹を採用することになるところは僕も少し落胆したのだけれど、その彼女が自ら映画制作にのめり込んで演出やら何やらに関与してくるようになるにつれ、不思議なことにどんどん輝きを増してくる。イケてなかった妹は、やがて姉よりも断然魅力的に映ってくるのです。そして何と言っても終盤、スクリーンを夢中に見つめる子供の表情はどうしてこれほどまで心を和ませるのか。それがほんの僅かな一瞬、これまでもありとあらゆる映画の中で繰り返し利用されてきた、決まりきったお約束のカットとは言え。
映画そのものや映画文化、または映画館という空間に敬意を捧げた映画というのは数多くあるのだけれど、本作には一般的な「映画の映画」に現れる映画館やフィルム、映写機などはまるで登場しません。「動く画」を媒介するのは専らビデオレンタルショップとビデオテープ、そんな本作を眺めていて感じた違和感は果たして僕以外の一般の人達にも共有出来るものなのか…つまり、僕の中で映画とビデオはまるで接続されないのです。僕はこれまでの人生においてビデオデッキを一度も所有したことが無く(しかしただ1本のビデオテープが押し入れの奥に在って、それは昔友人達と旅行した時の様子を友人の一人がハンディカムで撮影したもののコピーなのですが、プレゼントとして送ってもらったものの当然それを再生する手段を持ち合わせていません)、それがこれまで見た映画本数の少なさに大きく影響しているのは、以前、別の映画感想文に書いたのだけれど、ではなぜビデオデッキを買おうと思わなかったのかという、その理由はまだ書いたことが無かったように思います。実は変な話、デッキ以前にあのビデオカセットという記録媒体の外観、あのデカさとデザインの醜さがまるで気に入らなかったというのが主な理由なのです。僕が子供の頃、音楽を繰り返し聴く手段と言えばラジオをエアチェックする為のカセットテープで、手のひらに収まるその丁度よいサイズは、机の抽斗にズラリと並べても何ら違和感もなく、むしろライブラリが増えていくことが楽しくもあったのですが、どうもあのビデオカセットの図体というのは、記録をストックしておくメディアとして所有しておける気分の限界を遥かに超えてしまっている、見た目も美しくない無機質で黒いプラスチックの塊が自分の部屋を占領している様を想像しただけで無性に嫌悪を覚え、それを欲しいとは一度も思った事がありません。
対して、ビデオを持つ事で得られる利益は見た目の善し悪しを差し引いても余りあるのでは無いかという指摘も想像出来るのですが、どういうわけか子供の頃からテレビ番組というのは、その時その場所に居合わせなかったのなら諦めるしかない、ということに慣れてしまっており、おそらく普通に考えるような、学校や習い事がある時はビデオ録画して週末に見る、という世間では当たり前の文化がまるで根付かなかったのです。おそらくそれは、自分の部屋にようやく自分専用のテレビを持つまでの年月が長かったことも要因の一つでしょう。そしてテレビ自体を手放して久しい今となっては、新規にテレビ番組を録画する機械を購入する可能性は限りなくゼロに近づきました。
しかし、テレビという受像機を通じて映画を知るという体験が実際に劇場へ足を運んで観た経験数より多いのは、ビデオをスルーしてしまった僕にも共通します(とは言え鑑賞本数はもう逆転しそうですが)。子供にとって夜の21時~23時というのはは、その時その場所に居合わせないという事が逆に稀な時間帯であり、そこで流れるコンテンツと言えばやはり映画放送だったのです。
ところで、この感想文を書き始めて突然思い出した衝撃の事実。実は僕も、かつて映画監督をした事があったではないか!すっかり忘れてましたが、高校2年生の頃、文化祭でのクラス出展として映画を作ることに決まったのでした。脱線ついでにその話も続けましょう。
クラスとして何故映画作品を出展することになったのか、誰が言い出しっぺで誰がそれを支持し、どれくらいの賛成票を獲得して決定となったのかその経緯はまるで覚えていないのだけれど、映画好きではあったものの映画を作ることにはまるで興味も無かった僕が言い出しっぺでは無かったのは確かな事、当然監督なんて立候補したわけでもなくて(むしろ関わりたく無かった方)、役目に相応しい素地が備わっているかどうかも分からないまま勝手に誰かが僕を指名したのが多数に支持されてしまったのです。今思うに、これは何かの策略か陰謀が背後で動いていたのでは無いかと疑っているのですが、まあ、決まってしまったものは仕方がない。納期(開催時期)が既に決まっていることもあり、素人仕事とは言えそれなりの緊張感を持って制作に入りました。
とは言うものの、一体何から手を付ければよいのやら。まず何は無くてもシナリオを用意せねばなりませんが、予算的にも作業効率的にも無難なところで「青春スポコンもの」に決まり、それは女子が担当することになったと記憶しています。メインの撮影機材は担任だった教師が個人で所有していた8ミリカメラを借用することに。さて、ほとんど記憶が失われていることもあって制作過程の細かいエピソードは割愛、一通り現像の上がってきた素材フィルムを映写機にかけ、教室で関係者のみでの試写を行った時の事、簡易スクリーンを見つめるスタッフの間に衝撃が走りました。
「室内のシーンが全部真っ暗じゃないか!」
普通にありふれた食卓を囲む家族の風景…だったハズのものが、蓋を開けてみれば真っ暗な部屋でギリギリ何かが蠢くのが分かる程度、それでも声だけはしっかり聞こえる…ホラー映画かよ。別に暗闇で撮影したワケでもなく、撮影時は昼間、さらに蛍光灯も点けていたのに、コレは一体どうしたことか。今なら当時の自分にそっと教えてあげられる、現場での照明の重要性とフィルム感度、レンズの明るさのことなど。しかし同級生の自宅を拝借したその撮影もスケジュールの都合や予算の関係で撮り直しは不可能と分かり、不本意ながらそのまま採用することになりました(映画制作にはお金がかかり、そして多くの人の協力を頭を下げて依頼する必要があるというのは、その時なんとなく理解出来たのかも)。
さて、そんなこんなでシーン毎に仕上がってきたお粗末なフィルムを、1本のフィルムに繋げる次の行程、つまり「編集」はとても楽しい作業でした。編集作業台に置いたフィルムをハサミ(専用のカッターだったか)で切って物語構成に沿いテープで繋ぎ合わせる。そんなアナログな作業のノウハウのアレコレを担任教師から教わったのは、高校時代に学んだ中でも有意義なものの一つです。この作業自体は専任を置かず自分の手でチマチマと作業した記憶があります。
そして文化祭本番、散々たる観客動員数に凹みながら(ここで映画の興行を成功させるには宣伝活動も非常に重要だと言うことを知りました)一日に数回上映しました。例の暗闇シーンでは自ら活動弁士となって本来そこに映し出されるべき様子を解説するなんてサービス(?)もしたり。しかしもちろん、そんな中途半端でゴミのような映画に観客の誰一人として満足したような表情も見せるハズもなく、上映が終了した後には重い沈黙が教室を支配、強引に客を招き入れたスタッフも恐縮しているのが分かりました。
そこで僕は、どうリアクションすれば良いか考えあぐねている観客(数人だけど)に向かってもう少し待ってもらうように頼み、フィルムの巻き終えたリールと空になったリールを映写機に逆に交換してセット、一度上映し終わった映画を再度、こんどは逆回転上映したのです。ハンドボールを扱ったその青春スポコン映画では、主人公がボールを次々と相手コートにたたき込む様子をテンポよくカットを切り繋いでみせているのが終盤でのハイライト。果たしてスクリーンには、一度コートに投げ込まれたボールが宙を舞う主人公の手に次々と勢い良く戻ってゆく滑稽な様子が、普段見慣れない、物理法則をまるで無視した相当違和感のある動きが展開されました。
その時、それまで教室内に立ち籠めていた重い空気がふと消えたのです。もう帰ろうとしていた客をわざわざ引き止めて映画を逆回転上映し始めたことに半分呆れていた彼等は、プッっと笑い出してスクリーンに見入っていました。僕はスクリーンの反射光に照らされた彼等の表情を見て安堵し、そしてその笑顔につられてスタッフ共々一緒に笑ったという、これが僕の映画初監督、とんでもない失敗作品上映時の恥ずかしくもまた懐かしい想い出です…というか、逆回転上映したらわざわざフィルムを巻き戻す必要が無くなって都合が良かったというお話。
ひと言メモ
監督:ミシェル・ゴンドリー(2008年/アメリカ/101分)ー鑑賞日:2009/01/17ー
■映画監督は二度と御免です。
■本作で採用されている、横に大きく広がったシネマスコープは冒頭とラスト以外は上手く機能していないように感じました。ビデオがモチーフになっているなら、ビスタサイズでも良かったのではないかとも。
■そのいわく付きの室内撮影現場を提供してくれたのは、社長の御曹司の自宅。そのコンピューター・オタクの同級生は日本で発売されたMacintoshを純正プリンタと共にいち早く手に入れたという強者でした。僕のMacintosh初体験は、その同級生所有のものです。今では当たり前のマウスが、当時は衝撃的でした。
2009-04-19 > 映画百本