連載第8回
2012年5月15日
「千億の世界」福島正実編 海外SF傑作選

 先日、YouTubeに投稿された動画で非常に興味深いものを見ました。海流探査用深海カメラが未知の海洋生物を捉えた(とされる)その動画には、クラゲのような不思議な生き物が。まるで照明に興味を抱いているような出来過ぎた振る舞いがCGによる作り物のフェイクに見える感じもしないではないのですが、まあ、その真偽はともかくも魅力的な映像であることは確か。もし実際に海へ潜って直接カメラ越しにそれを見たら恐怖と気持ち悪さで気絶してしまうかもしれないくらい気が弱い僕ですが、こうやって安全な距離から見るそれは、生物が生息している環境に適応して取り得る形態がいかにこちらの予想を越えバラエティに富むものかを教えてくれもし、十分に楽しめるものでした。動画を眺めながら「ヤツは何を主食にしているのか?」「増殖はどうやって行うのか?」「一部臓物や触手のように見えるのは性器にも見えるナ」などなど、想像は大きく膨らみました。

 見知らぬ生物との遭遇がもたらす何とも言えない高揚感はかつても頭の中で幾度か経験したことがあります。今なお強く印象に残っているのはクラークの『2010年宇宙の旅』小説版。たぶん中学生の頃に読んだのですが、それまで児童向けSFにあったような画一的な生物との遭遇物語ではなく、ソ連船を出し抜いて目的地に到達した中国船が海中に潜んでいた未知の生物と悲劇的な出会いをしてしまう場面のリアルな描写にインパクトを受けました(僕はこの小説が大好きで3回ほど読み返しました)。もちろん文章だけなのでひたすら想像力を働かせて場面を空想するのですが、後に高校生の頃に観た映画版ではその生物との遭遇を「寸止め」で終わらせることで、観る側の頭の中はフル回転することになる…うまい演出だと思いました。モニターにチラと映ったアレは何だったのか?と。

 しかし次第に、極寒状態ではあるものの、地球環境に似たエウロパを舞台にした未知なる生物の世界を想像することの刺激は冷めてゆき、なぜその空に浮かんで圧倒的存在感を誇示している木星が舞台にならないのか?と思い始めたのです。太陽にしてしまうのは勿体ない。そこから僕の夢想は広がり、シンプルでありながら強い高揚感を与えてくれる構想に取り憑かれました。ジュピター・ダイブ。ジュピター・ダイバー。あるいは木星降下or自由落下?まあ、そんなタイトルを掲げた映像作品です。
 内容はいたってシンプル単純明快。高圧力に耐えるビデオカメラをあの嵐吹き荒れる木星の雲の海へ落とす。ただそれだけ。カメラが押し潰されるまでの短い間に、そのカメラが捉える映像には一体何が写っているのか?モニターの片隅に映ったアレは何だ(←寸止め)?ああ!興奮する!!いつか自分で作ってみたい!!

 さて…。昨年は久々にSF短編集をよく読みました。その中から今回、ちょっと紹介したい気持ちになったのは福島正実編『千億の世界』。巻頭のイワン・エフレーモフ「宇宙翔けるもの」は広大な宇宙をゆく宇宙船が、異星の船とニアミスする(!)というもの。激突寸前で回避するのですが、そんな偶然あるか!と言いたくなるけれど、そんな事件が起きる確率は完全なゼロではありません。互いが想像を絶する超高速ですれ違うというネタだけで短編映画が撮れそうです。その他、この短編集には未知なる生物との遭遇を描いた様々な物語が収められていてどれも読み応えがあるのですが、やはりトリを務めたクリフォード・D・シマック「逃亡者」の出来は秀逸。舞台は木星、その巨大な惑星に人間と犬がダイプします。とは言ってもちょっと捻りを効かせた方法を使ってダイブするのですけど。彼等は先任のスタッフが木星に降下したまま誰一人して帰還しない原因を探りに出向くのですが、終盤やがて明らかにされるその理由を知って、僕はまだ何も知らない子供のように心から感動しました。

 昔のSF短編は近年の作品のように、精緻にディテールを描き込んだ重厚な作品とは違って、多くの余白があります。しかしその余白は手を抜いて空いたものではありません。読者はその余白の中へ、自分の内側から溢れ出る想像力を存分に注ぎ込むことによって、紙の上の文字で表されているよりも広い空間や時間や構造、あり得ない世界の成り立ちを自ら組み上げることが出来るのです。そうやって妄想している時間の何と豊かで素晴らしいことか…。たまには良いものですよ、気分転換にもSF短編如何。