連載第17回
2007年12月5日
ケンカする時は場所を選べ

 おそらく池袋に来たのは宮沢章夫の『be found dead』を観た時以来3~4年振り、新文芸坐という劇場へ映画『300』を鑑賞する為だったのですが、山の手線を降りて改札をくぐり、地下から出口を通って地上に出、目に入った近くの銀行ATMで今日一日分のお小遣いを下ろし、さて、いよいよ初めて赴くその劇場があると思われる方角を眺めてふと思いました。出かける直前にネットでチラと一瞥した簡素な地図には、目印とすべきビックカメラの位置が記されていたものの、そのビックカメラの看板は目の前展開するビル街の間に適度にバラけた状態でいくつか見られる…。はて、目標となるビックカメラは一体どの店舗なのか。直感でそこだと感じたビックカメラに一度は足を向けたものの、いや待てよ、もしかしたら背後に通り過ぎたビックカメラかもしれない、との疑惑が起こります。というのも駅出口から徒歩3分と先のネットに案内されていたのをうろ覚えしていたからなのですが、最初にコレだと直感したビックカメラへの距離よりも、背後にあるビックカメラの方が駅からは近い、3分という距離範囲を考えれば、背後の店舗を起点に頭の中で記憶している劇場の相対位置を目指すべきだろうと判断、ぐるりと向きを変えブロック内をうろつき始めたのですが、ギラギラする看板、行き交う群衆に幻惑され、ほどなくして自分が路頭に迷っていると確信するに至りました。こんな時、劇場に電話すれば係の人が道筋の説明をしてくれるだろうと思ったのですが、生憎そういう時に限って電話番号をメモしてきていません(それ以前に携帯電話を持っていません)。最寄りのビックカメラに寄ってパソコン売り場に向かい、展示されているパソコンを拝借して検索しようかとも思ったのですが、いきなり波乱含みのこんな日はおそらくネットが繋がっていなかったりするのではないか、というか上映30分前に駅に付いたのだから、残された時間を考えるともっと確実な手段を取る方が良い。そこで向かったのは交番。10数年前は音楽仲間と落ち合うためによく訪れた池袋、どういうわけか交番が其所にあるということだけは脳内地図から消えずにあったのです。今の時代、まさか交番でお巡りさんに道を尋ねることになろうとは思いも寄りませんでしたが、しかし新文芸坐なる映画劇場の場所なんて分かるのだろうかと半信半疑なまま、やはり昔からすり込まれた所作であるのか、別に罪を犯したわけではないのに低姿勢で腰を折り曲げ、頭を下げながら聞いたのでした「あの~すみません。新文芸坐という映画館ってどこにあるか分かりますか」。すると直前に二人のおばさんへ道を案内してあげたばかりのお巡りさんは驚くほどのニコニコ顔で、「後ろにビックカメラの看板が見えるでしょ。そのビルの後ろ側、マルハンというパチンコ屋の3階にあるよ」と教えてくれたのでした。そのビックカメラの看板とは、最初にコレだと直感した店舗のものだったのです。さらに深々と頭を下げてお礼を言い、今ははるか遠く背後になってしまったその店舗へ再び向かいました。飲食店や風俗店がひしめくブロックの中にその劇場を見つけるのは少々難儀でしたが、おかげで上映には間に合いました。特に方向音痴でもなく、勘は良い方だと思っていたのですが、これからはしっかりと地理的状況を把握してから出かけようと猛烈に反省。それでも道に迷ったなら、迷わずお巡りさんに訊け。

 閑話休題。今回、先のロボット物に続けてこの作品を取り上げたのはバトル描写の対比ですこぶる都合の良い材料だったからです。近代兵器の無い時代ゆえ、本作でも相変わらずモブシーンは始終出てくるのですが、この作品の場合、物語設定上(少数対多数)群衆そのものが準主人公でもあるからさておくとして、止めどなく波状攻撃を繰り返すペルシア軍と、それを迎え撃つスパルタの戦士の、リタイミングとVFXを絡ませ正確に制御された緩急のリズムが織りなす優雅な殺陣を見れば、監督は本作の原作コミック・ファンが期待していることを十分に理解していることが窺い知れます。実際にはあり得ない動き方をしていようが、そんなことは映画に高揚感を求めて劇場に足を運ぶ人間達にとっては些細な事、監督はその時こそフェティシズムに満ちた映像表現で要望に応える義務があるのです。極めてニッチではあるけれど、その特殊な嗜好においてザック・スナイダー監督は確かに(動きを伴った)絵心を持っていると言えます。

 さて、本作のバトル描写について上述したような部分への言及はその他大勢の人が既に済ませていると思われるので、今回は少し視点をずらしたところに注目してみます。あらかじめ本作の見せ場は群衆対群衆の肉体を酷使した戦闘にこそあるということを認識していると、終盤を迎える頃にある事に気付くことになる。群れと群れが入り乱れて激しくバトルしているにも関わらず、観ている側は「そこで何が行われているか正確に把握し続けて」いられる。これが本作における最大の特徴です。それを可能にしているのは(物語構成が単純だからという指摘はさておき)、スパルタ軍が選んだ戦場の地理的状況にある。その場所では、一つの弱点を除けば、自分と敵陣をただ一本で結ぶ線上に配置せざるを得なくなり、敵方は必ず「前方」からしか攻め入って来られない。時代設定上、弓や槍こそあれど、銃やミサイル・戦闘機など三次元的戦闘空間を創り出す要素が無いことに加え、地理的制約によって全編通して描かれるバトルはそのほとんどが、真正面もしくは真横からのカメラによって二次元的に描かれます。例えば巨大なサイが襲撃してくる場面、その姿をほとんど俯瞰することなく、頑なに正面に据えたまま撮り続けているのが良い例です(この舞台以外の場面でも、数多くのカットが真横か真正面の画になっています)。この分かり易さ、言い換えれば「コミック的」とも言える2次元的画作りこそ、観客が長時間にわたって展開されるバトルをもってしてなお状況を見失わず、かつ高揚する気分を味わえる理由なのです。つまり、『トランスフォーマー』においてマイケル・ベイ監督が見誤ったのは空間の自由度の取り扱い、そしてカメラの動かし方にある、と。この地獄のような血なまぐさい争いを終結させるのが地理的弱点のリークに拠るのは必然なのですが、本作から学ぶべきことがあるとすれば唯一、喧嘩をする時には、事前にどういう場所で争えば自分に有利に働くか周到に下調べしておくべきだということです。

ひと言メモ

監督:ザック・スナイダー(2007年/アメリカ/117分)ー鑑賞日:2007/12/03ー

■こちらでメイキング風景が見られます。→ココ。仕掛けてんこ盛り。
■決戦場で降伏するよう伝えに来た、鞭を使う使者の腕を部隊の一人がジャンプして切り落とすカット。剣を振り下ろすタイミングが早過ぎて(しかも何故かスローモーション)「それじゃ相手を斬り付けられないよ」とツッコミを無性に入れたくなる箇所があります。
■とにかく外連味溢れる画作りでしたが、今後リタイミングを使った映像が流行しそうです。お遊び程度ならFinal Cut Studioなんかで出来そうですね。