これを書いている今、コーヒーを飲みながらタイプしているのは言うまでもありません。僕にとってコーヒーとは、目覚めの一杯であり、仕事中の覚醒剤であり、そして一日の終わり就寝前に豆乳をいっぱい加えた〆の一杯という、ほとんどカフェイン中毒一歩手前と言ったところ。そんなコーヒーにまつわる、あんな話こんな話が聞けるのなら観ないわけにはいきません。しかし断っておくと、僕の味覚はかなり鈍感、グルメ志向ゼロ、より上品な味わいを探し求めて原産地や種別にこだわるなんてことにはまるで関心の無い、もっぱらインスタントなコーヒー生活を送っていますから、豆を買ってきてコーヒーミルで挽いてどうのこうの、というような方面の知識は全く皆無なのです。とは言え本作の邦題に「…の真実」とある定番フレーズ、これは「一般の人が知らない(関心のない)ことについてつまびらかにしようではないか」という宣言に他ならず、ここで明らかにされるのは容易に想像できる通り、現地のコーヒー生産者は僕等が一杯のコーヒーを飲むのに支払う対価の1%ほどしか現金を受け取っていないという、つまりは「搾取」の現状が描かれているのです。
簡素に言えば、まず投機筋がNY先物取引で決めた価格が先行して全ての配分を強者優先で決めてしまうという流れ。つまり市場価格ありきで、例えば生産者側の方から「今年は子供の教育費を捻出したいからキロあたり幾らで(そもそも現地に学校がなかったりするのだが)買い取ってもらいたい」という交渉すら出来ない、買い取ってもらう以前に買い叩かれているという状況。もちろんこの構造はコーヒー産業に限ったものではありません。
そういうった現状が分かり易く描かれているとは言えど、ではそこで生産者の貧窮した状況を改善するために何かしら「実効的かつ速効的な」提案が出来るのかと言えばそれほど話は簡単ではなくて、長年かけてグローバルな規模で出来上がった市場主義経済の仕組みに各々の国策やら政治的思惑なんてものが複雑に絡んでいるものを抜本的に見直す事などそうそう簡単に出来るものでもないのだけれど、本作を観ても気分が落ち込まないのは、主人公であるエチオピアのコーヒー農協代表の男がとにかく現地生産者側の生活向上の為、世界を回り巡って奔走している姿に何かしら光が見えそうに感じるところがあったりするからです。市場経済の学識的なところは全く分かりませんが、市場がより良いカタチで回っていく仕組みは、もしかしたら今後実現出来るのではないかと期待したりするのです(と言ってる間に食料難になりそうだけど)。
彼が言うように、まずは何よりも小売りに渡る手前の焙煎業者に珈琲豆が到達するまで6回もの(!)中間取引を経るようなことは回避し、直接リーチしたいという目論みは、彼自身の絶え間ない営業努力で何とかなりそうな気配です。中間マージンをスッ飛ばして消費者と直接取引できれば、現状より大きな利益を生産者側が得ることが可能になるのはコーヒー産業に関わらずどんなところでも言えるのではないか(フェアトレードとか)。しかしもはや不要と言われる仲介役がこれまで行ってきた事何もかもが悪いわけでもないのが難しいところ、彼等のように僕等一般消費者が気付かないような価値を世界各地から探し出し、リスクを投じて遥か遠方の地から商品を輸入したりするのは、世界に自身の存在を知らしめる手段を持たない生産者にとっては有り難い存在でもあるからです。今回の感想文タイトルが「カッ飛ばせ」ではなくて「スッ飛ばせ」になっているのは、カッ飛ばして仲介者全てが無くなってしまってはそれはそれで困った事態に陥ってしまうからで、そこは適度に存続してもらい、不要な場合はスルーしてしまおうなんて都合の良い魂胆が働いているのです。
そして昔と違い、現在は何よりもインターネットがあります。その恩恵として今や生産者から直接商品を購入するなんてことは当たり前になりつつあるのですが、仮に僕個人が何かしら生産するものがあって、それを世間一般に知らせるため中間マージン層をスッ飛ばしてネットを大いに活用しようと考えた時、より多くの地域、より多くの人へ直接リーチする為にまず何よりも必要なツールとして、本作で主人公の活躍を追いつつ真っ先に頭に浮かぶのはコレ、英語で相手と一対一で対話出来る能力です。
ひと言メモ
監督:マーク・フランシス&ニック・フランシス(2006年/イギリス・アメリカ/78分)ー鑑賞日:2008/09/21ー
■困った事に、外国語はからっきしダメなんですよねえ~。なので個人的にはさらなる英語教育推進派です。少なくともソンはしません。
■富める者が生産者を救済しなければならいのは、もし彼等が割に合わないからと一度その仕事から身を引いたら、もう二度と戻ってこないから。日本の第一次産業がすでにそうなっている現状が理解しやすいかと思います。
2009-05-04 > 映画百本