連載第8回
2023年6月29日
政治の話と『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』

こんばんは、低意識浮遊体、ミキ春です。

早速、昨日『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』を観てきた。久しぶりの映画館だったけど、もう半分以上の人がノーマスクだった。

新聞・テレビの凋落オールドメディアが一生懸命に「まだマスクしてるなんて…」みたいな空気を散布してるらしいから、まあ、一般的な庶民は空気に流されてそうなるね。かなり暑くなってマスクも疲れるから、タイミング的にも離脱のきっかけになっていると思うよ、5類に分類したのは。ただ現実として、何度目か分からないけど、周囲では高熱出して仕事休んでいる人が増加中で、時折見かける感染者の増加数を見てもそれを裏付けてるなと思う。まさに竹槍持って突撃してる感じ。

まあ、それはそれで、映画どうだった?

面白かった。これは文字通りの意味で、そこかしこに「思わず笑ってしまう言葉のやり取り」が散りばめられていて。前作からさらに作り込まれたアニメーションも凄いんだけど、畳み掛けるようなセリフの応酬で。リアルな生活で、こんなテンポで会話することはほとんど無い。
で、個人的に印象に残ったなかの1つが、ほんのささやかな「政治的」セリフが流れたこと。
以前、ミキ春が、演劇か何かを友人と観に行った時に、その中で投票へ行こう!みたいなセリフがあって、君の友人が「なんだよ、政治の話なんてして…」とか言ってたって。

そう、そんな事があった。自分よりふた周りくらい歳が離れてる世代なんだけど、音楽や映画、その他多くの表現の中で「政治の話はするな!」という意見を持った人にリアルに遭遇したというのがかなりインパクトあった。
その時は、そこからその話題について感想を展開させることは避けて、やんわりと別の方向に持って行ったんだけど、演劇の中では別に、特定の主義や支持政党の支持を大きく主張したわけでは全然なくて、単にフラットな立ち位置で「選挙へ行こう」というセリフを混ぜていただけ。でもそれだけで友達はかなり嫌悪感を表明してたから、政治にまつわるすべての事柄が嫌いな人は、本当に心底嫌いなんだなと分かった。

へーー。作品の中でどんなセリフが紛れているのか何て事前に分からないから、一緒に鑑賞するとなると地雷踏むかも…みたいな怖さはあるね。
僕が『アクロス』で面白いなと思ったのは、これはネタバレでも何でも無いので安心して欲しいんだけど、主人公の母親がグウェンの年齢を推定する際に、投票に行ける歳よね? みたいなセリフを言うところがあって、その発想は僕には全く無くて新鮮だった。あと、中盤でとあるキャラクターが言うセリフで、何となく政治にまつわるものが一瞬あるんだけど、本当に一瞬。その二つの「政治的な」セリフみたいなもの、間合いも含めて多く見積もってトータル4秒くらい。

上映時間2時間20分で、4秒ね。

どちらも物語には全く関係ない。中盤の場面でも、それを言うキャラクターの原作コミックにある持ちネタなのか、帰属している世界の社会背景から出ているのか知らないけれど、ハイスピードのセリフの応酬の中で出してきたと言う感じで、唐突感はあるけど、そのまま流れて行ってしまう。でも、もしかしたら、その敏感なミキ春の友達は、即座に反応してしまうかもしれないなあ。ちなみに字幕版で観た。
『スパイダーマン』と言う極めてファンタジーな作品で、しかも時代の先端を行く前衛的アニメーション作品で、ちょっと現実に引き戻されるような政治の話を食い込ませるのは、何で?と思った。単にセリフの応酬の流れの中での「冗談」と言う位置付けと言うか、プッと笑うところ、と言う意味合いなのかもしれないけど。

まあ、自分は例えば、戦争映画なんてその成り立ちからして「政治の話」だよな、と思ってしまうけど。少し見方を変えれば、ガンダムなんて延々と政治の話なんじゃないの?知らんけど。

ははは。まあ、確かに(笑)。僕もファーストとZしか見てないけど。

アニメとか、比較的軽いノリのドラマだとしても、日本の映画なんかで「投票に行こう」みたいなセリフは、冗談としてもまず出さないような気がする。その瞬間に世界観が壊れるような。

そうね。せっかく娯楽作品に入り込んで現実逃避していたのに、その手のセリフを出しただけで現実に引き戻されるというか。敏感な人の、その感覚は僕も理解出来る。
でも逆に、何でエンタメ、ファンタジーの極みでもある『スパイダーマン』ではそんなセリフを言わせることが可能だったんだろうか?って、ずっと頭から離れなくて、帰りの電車の中でそればっか考えてた。

政治的発言への忌避感って、学生時代に周囲から受けた「政治の話はしちゃダメ!ゼッタイ!」っていう刷り込みや、一部の「非常に熱心な」人のしつこさに辟易した結果かもしれない。その友人は学生時代、身近に居たそういう非常に熱心な人から毎日のように熱く語られて、たまらずに逃げたと言ってた(笑)。

その友人の「ウザい」という気持ちもすごく分かる。で、話を戻すんだけど、『アクロス』でそれが出来たのは、

・向こうでは「投票へ行こう」くらいは普通に日常会話
・最先端で尖った表現を作り出している余裕

だからかなあ、とボンヤリ思った。現地の日常とか全く分からないので印象でしかないんだけど、向こうってその時期になれば「投票へ行こう」くらいは普通に会話の中でしゃべってる感じがある。憶測だけど。その割にはアメリカでも投票率50%くらいじゃなかったっけ。あ、だから言うのか。
で、もう一つの余裕ってところ。スパイダーマンで広まった台詞に「大いなる力には、大いなる責任が伴う」ってあるじゃない?今回の『アクロス』も、画の表現においては前作で確立した技術をさらに先鋭化させているわけだけど、圧倒的な物量を投入して新しい「表現」を作り出している現場が持つ、ユーモアとゆとり、というか。そこに「投票へ行こう」くらい突っ込んでも、俺たちの世界観は安易に崩れ去ったりしないぜ!みたいな。だから僕はポジティブに敏感なので、唐突さに違和感を覚えつつ、プッと笑っちゃったんだよね。ミキ春の友達だとネガティヴに敏感だから、冷めた!とか言って映画館出ちゃうかも知れないけど。

日常だから問題ないのか、力強いから問題ないのか、卵かニワトリか、みたいだけど、まあとにかく問題なかったわけだ。

そう、全然問題なかった。『アクロス』のとんがった表現による世界観はそんなもんでは全く揺らぎもしなかったな。そのまま猛スピードで突き進んでいく。そこはねえ、ちょっと羨ましさというか、力を持っているスタジオへの嫉妬というか。

今回の件だと、「確固とした世界観を構築した上で、さりげなく言う」がポイントなんだと思った。世界観は「信頼」とか「一目置かれている状態」に置き換えると分かりやすいかも。でも残念ながら、我々庶民には前提となる確固とした「信頼」を作るのが難しいからねえ。普通のおっさんレベルだと、何を下らないことを言っているんだ!とか言われそう。いや本来、政治は生活のあらゆる細かなところに密着しているんだから、普段でも普通に話題に出来ることが健全な社会だと思うんだけど。その何気無い日常会話の中で、止揚していければ良いなと思ってるんだけど。

まあ、とりあえずそんな感じで今回は『アクロス』を観てそういう事をツラツラと考えてたりしました。二人でしゃべっててもあまり発展しないので、ChatGPTに入ってもらいます。無料版に聞いてみます。

「映画や音楽、アート表現の中で、政治的発言を行うことには、一般にどのような批評がなされているか?」

映画、音楽、アート表現における政治的発言については、さまざまな批評があります。以下に一般的な意見や批評のいくつかを挙げますが、これらはあくまで一般的な観点であり、個々の意見や文化によって異なる場合もあります。

1. 政治的発言の賞賛:
一部の人々は、アーティストやクリエイターが政治的なメッセージを表現することを称賛します。彼らは、芸術を通じて社会的な問題や不平等に対する関心を喚起し、意識を高める手段として重要だと考えます。政治的な発言が社会変革や進歩の促進に貢献する可能性があると見なされることもあります。

2. 政治的発言の批判:
他の人々は、アートやエンターテイメントから政治的なメッセージを受け取ることに対して批判的です。彼らは、芸術作品や音楽を単純な娯楽や逃避手段として楽しみたいと考える場合があるため、政治的な主張や意見が挿入されることに不満を感じることがあります。また、アーティストが自身の政治的な見解を押し付けることや、楽曲や映画が単なるプロパガンダになることに懸念を抱く人々もいます。

3. 芸術の多様性と政治的発言:
芸術やエンターテイメントの領域は多様で広範であるため、政治的発言の受け取り方も人によって異なります。一部の人々は、芸術作品や音楽が個々の経験や感情を表現する場として存在するべきだと主張します。彼らは、アーティストが政治的メッセージを発信することは問題ではないが、それが芸術の多様性を保つ必要があると考えます。

これらは一般的な意見であり、個々のアーティストや作品によって批評は異なる場合があります。また、文化や社会的背景によっても意見は変わることがあります。芸術やエンターテイメントにおける政治的発言は、社会的な議論や洞察、意識の高揚をもたらす一方で、意見の対立や論争を引き起こす可能性もあります。最終的には、アーティストの個々の選択や意図、観客の解釈によって、その評価や批評が形成されることになります。

要約できますか?

もちろんです。政治的発言に関して一般的な批評は以下の通りです:

■政治的発言の賞賛:
アーティストやクリエイターが政治的なメッセージを表現することを称賛する人々がいます。社会的な問題や不平等に対する関心を喚起し、意識を高める役割があると考えられます。

■政治的発言の批判:
芸術やエンターテイメントから政治的なメッセージを受け取ることに対して批判的な人々もいます。芸術作品や音楽を単なる娯楽として楽しみたいという意見や、プロパガンダになる懸念があります。

■芸術の多様性と政治的発言:
芸術やエンターテイメントは多様な表現を受け入れる場であるため、政治的発言の受け取り方も人によって異なります。政治的なメッセージを含む作品を支持する人々もいますが、政治的なメッセージに反対する人々も存在します。

最終的に、アーティストや作品ごとに批評は異なります。政治的発言は芸術やエンターテイメントにおいて議論を引き起こし、受け手のバックグラウンドや視点によって反応が分かれる要素となります。

二人で会話していてヒートアップした時とか、煮詰まってきた時にChatGPTを入れると、一気に場を冷却する効用があるな…。

メッチャ現実に引き戻される。そして両論併記なところが、どことなく凋落オールドメディアっぽい(笑)。

はい、それでは本日はどうもお疲れ様でした。じゃあ、また次回…って言うか、肝心の映画の中身には全く触れなかったな。