連載第16回
2007年12月4日
美形キャラに導かれて

 物語もいよいよ佳境、テロリストとの最終決戦に挑もうとするなかで、さりげなくも注目すべき台詞が聞き取れます。その「思いっ切り暴れられる」という言葉こそは、バトル描写が大きな比重を占めるジャンルにある本作品を手がけた制作陣の、観客の大きな期待に応えようとする強い意思表明に取れたのです。果たして決戦の場は都市から遠く離れた異国の中空へシフト。つまり彼らは一般市民に被害を与えることなく、バトル展開するに最も適した舞台を与えられた訳です。
 その決戦舞台は市街地から遠隔しているばかりでなく、空中に浮遊しているという、まさに戦闘に最適化された装置だったのですが、ここ一連のロボットアクション物を鑑賞してきた態度と同様、僕が注目したのは爽快感を引き出してくれるような外連味溢れるバトルが描かれているかどうかになります。もちろんアニメ作品で現実に忠実な戦闘が描かれることを望んではいませんし、外連味(けれんみ)とは辞書で引けばすぐ分かるように、大げさな演出、仕掛け・ごまかしという意味ですから、冷静に見れば「バカバカしい」と思えるような演出でも、勢いに飲まれて気が付けば思わず笑ってしまっているような(つまりこちらの期待に見事応えられている状態)ハッタリである事を期待するのです。

 さて、結論を言えば残念ながら僕の期待は十分に報われませんでした。まずその舞台で登場する敵方に、CGを扱った作品には必ず出現するモブ、数に物言わそうとした機械虫の大群が襲いかかるのですが、既に多くの人が気付いているように、数の多さとアクションの緊迫感は比例しません。その理由の一つとして、必要以上に大量導入された機械虫は、制作側の制御上の理由によるものなのか、こちらが推測可能な範囲での動きしか取らないのです。機械虫は折角群れを成しているにもかかわらず、あたかも一匹の巨大な虫のような振る舞いしか見せない。もちろんCGスタッフ側もテクニックを使って、一つ一つの虫にランダムな要素を含ませて微妙にバラつきを与えているのは分かるのですが、俯瞰して群衆の動きが予測できてしまえば相対する戦術など簡単に見出せてしまうのは必然。かくして主人公はさほどの苦労もせず、これら機械虫の群れを引き寄せ一網打尽にしてしまうのです。今の時代、この程度の演出で満足するようなアニメ・SFファンが居るとは思えません。

 その昔『伝説巨神イデオン』というロボットアニメで、主人公ロボに向かって無数の敵方小型ロボ(アディゴ)が攻撃を仕掛けてくるシーンがあったのですが、必死で対抗しようとするも予測出来ない動きで飛び回る相手に追いつめられ焦燥した主人公はそこでどう出たかと言えば、何と全方位に向けて無数のミサイルを一斉発射するのです。三次元的に弾幕を張った後、宇宙空間を彩る爆発光はビジュアル的にまさしく外連味に溢れ、見せ物としての戦闘を巧く演出していました。そして、そこが宇宙空間という戦場としては何ら制約も無い舞台であったことは注目すべきところ、これが球状弾幕を可能にしているのです。さて、外連味はスピードと数だけで決定するわけではありません。再び富野系で恐縮ですが、その昔『聖戦士ダンバイン』というロボットアニメでは地上に突如現れた巨大な浮遊母艦(オーラ・シップ)に対し、ソ連・ヨーロッパ諸国が核攻撃を仕掛けます。しかし物語設定上、それらオーラ・シップにはバリヤーが存在し核攻撃にもオーラ・シップは無傷のままなのです。そこでアメリカ空軍が考案したのは核爆弾を搭載した戦闘機をリモコン操縦し、バリヤー内に突入させた上で爆発させるという作戦。これは功を奏し、甚大な損傷を敵方に負わせる事に成功するのですが、戦略を練るという部分でスピードや数に頼らずに高揚出来る一例です(これも舞台が空中であることに注目)。ちなみに富野監督は、日本人主人公をしてこの作戦を「カミカゼをやるのか」と言わせるのですが、そのセリフに対しアメリカ軍人のスコット艦長がどう返すかは興味があれば調べてみて下さい。どちらにせよ「思いっ切り暴れられる」という絶好の状況を活かすには、これくらいのアホらしさが必要でしょう。

 ところで、モブシーン(群衆)を描きたいからCGを使うのか、それともCGを使うなら描いてしまおうと考えるのか分かりませんが、CGを使った作品ではやたらモブシーンが多いという指摘は先に鑑賞した『ベクシル』にも当てはまります。そればかりでなく、同時期にまるで互いに引き寄せられたかのような両作品の絵の持つテイストのシンクロ具合に驚かずにはいられません。まず何よりもキャラクターデザインは『ベクシル』のデザイナーと同じ人が担当しているのだろうかと思うほど似通っていますし(実際には違う人でした)、レンダリングの質感もほぼ同様の手法がとられているようです。先のセンテンスを反復すれば、CGを使った最新のトゥーン・シェーダーを採用しようとすると似通った系統のキャラクターデザインに落ち着いてしまうということなのでしょうか。いやしかし『ベクシル』の感想文ではキャラクターとレンダリングの質感のマッチングを肯定し一度はその発展を期待したのですが、それよりも今回『エクスマキナ』を見て感じるのは、早くもこの手のジャンル映画に対する懸念なのです。つまり美形キャラが主人公のSF作品の場合、物語は往々にしてありきたりな「一人のヒロイン(またはヒーロー)が世界を救う系」になってしまう。とすれば、急速にこのジャンルの衰退が始まるに違いありません。

 「キャラクター・デザインが物語を導く」という論旨は、セル・アニメにおいては全く当てはまらないので一見馬鹿げたものに思えるのですが(セルなら美形キャラであれ、不思議とどのようなストーリーにも違和感がない)、ところがCGアニメの場合、あらゆる表現が可能なようで実は未だ存在する多くの制約の為なのか、作品の世界観が強制されてしまうことになる。映像の持つ空気感に加え、例えば美形キャラには合わせて必ず採用されるモーション・キャプチャーという技術でさえも、実は表現の幅(加えて物語の幅)を狭くする一要因に成り得るのです。しかしながら実写においては、いわゆる美形俳優がキャスティングされていてもストーリーは様々に形を変え、一つのカテゴリに強制されることはありません。ここに来て改めて生身の人間が持つ表現の幅を実感するのですが、可能性として本作のような系統の美形キャラを採用し、同様なレンダリングの質感を維持したままチャレンジ出来そうなのは、ロボット物から離れてガイ・リッチー監督『スナッチ』や、ヤン・クーネン監督『ドーベルマン』のような、ハチャメチャなジャンル(?)ではないかと思うのですが、ならば俳優を使って実写で撮った方が早いという当たり前の反論が聞こえてきますし、いやはやバカバカしさと外連味、CGアニメにはなかなかハードルが高そうです。しかしながら、少なくともモブシーンは必須ではないことは確かです。

ひと言メモ

監督:荒牧伸志(2007年/日本/105分)ー鑑賞日:2007/10/20ー

■サントラ買いました。冒頭のAOKI takamasaがイイ感じですが、意外にエンディングの曲も好きだったりします。
■ふう、これで今年のロボットアクション物の鑑賞は終了です。
■ロボット物ではありませんが、やはりここ数年で観たアニメーションでベストなのは『マインド・ゲーム』ですねえ。何せキャラクター設定が突き抜けてますし、何より動きがイイです。