連載第30回
2009年1月25日
三角形になるまえに

 上映が始まりスクリーンに流れる画を観て何となく、視野狭窄な圧迫感がしたのですが、原因はどうやらカメラの浅い被写界深度によるものらしい。これは少しやり過ぎなのではないかと思ったのだけれど、ほどなくしてそれはある感覚器官が通常あるべきレベルの機能に達していない、その状態を視覚的に言い換えたものだと理解しました。その器官が捕えるべきものは「音」です。

 以前から何となく感じているのですが、映画の中で手紙がやり取りされる場合、そこには書き手の音声が背景に同時に流れることが多いのだけれど、確かにそれは文面を画面で捕えつつその内容を迅速に観る側へ伝えるのには最も効率的であるものの、表現手段としては(手抜きとまでは言わないまでも)、どことなく要領の良さを感じていました。しかし本作を眺めていて、ある事に気付きました。ここでは幾度か手書きによる言葉のやり取りの場面があって、息子の書いた手紙が読まれる場面などではモノローグ的に声が流れるのですが、そこに音声が流れる場合、書き手はそこに居合わせない(!)。逆に、息子本人がその場で手書きしたメモを第三者に渡している場面では音声は流れません。何を今さら…というレベルの事を書いているのは分かっているのですが、確かに書き手が目の前にいる状況で、手渡された人間が手紙を読む際、そこに書き手の音声も流れているという状態を想像すると、居心地が悪いというか、さすがに説明過多のような気もします(本作の冒頭では息子が家族と共に居る状態で音声が流れるのですが、それは状況説明になっておりメモ等は介在しておらず、例外とします)。手紙が読まれる場面の描写で個人的に理想に思うのは、背景に音声は流れなくとも、そこに書かれた文章を読み始める前と後で、読み手の状態が変わる、表情や挙動、態度の変化によって、そこに書かれていたであろう内容を観る側に悟らせる、という方法です。実際、母親がアルバイト先の女友達から何かのメモを手渡される場面では(真上からその様子をカメラが捕えています)、そこに何の情報がやり取りされたのか全く分からないのですが、その後に繋がる場面を見れば、メモに書かれてあった内容はおよそ察しが付くという具合です。
 しかし母親が言う通り、相手が声を発することがほぼ無い状況に置かれている場合、書かれた文字の連なりは唯一相手の声を聞く手段であるというのは同意、実際の最近の例で言えば、今年受け取った年賀状に一言二言書かれた手書きの文字に、僕はまだ記憶に在る相手の声を聞くことが出来ました。

 さて、本作はまた意外にも三角形の物語。建築や物理などにおいては、三角形は安定に貢献するカタチだというような事を聞いた覚えもあるのですが、およそ物語において異性を含む三角形は最終的に崩れてしまうのが約束となっています。確かにそこへ恋愛要素が絡めば、余程変わった性癖でも無い限り崩壊するのは必然に思うのですが、映画のように視覚情報が表現手段になっている場合、男女の三角形は(見た目の)安定に寄与します。例えば男女男、あるいは女男女と並べば、そこに穏やかな時期を見出すことも可能です。ところが、男×2人に女という構成の本作、母と息子の間に素性の分からない男が加わることによって途端に緊張が起ります。物語としては刹那的にでも安定したカタチをとって欲しいと観る側は願うのですが、なかなかそれが画として安定するところを見せません。「男と息子」というカタチで安定すれば、次には「男と母親」というカタチで微妙な状態を見せたり、瞬間的に三人が並ぶところがあっても、すぐにそれは崩れてしまう。そんな三人の距離が密接になるきっかけとなるのではと予感させたパーティーの後、ようやく三人が安定したカタチで歩いていると思いきや、何ともまあ、それは友達カップルの間に息子が戯れているという状況だったりで、まるで不安定なオゾンの化学式のよう、一体この機会を逃した後にどこで安定を見出すのやらと思う始末。いや、そんな楽しいサスペンスが本作の見所でもあるのでしょう。「男と母親」を捉える息子のまなざしは、そこに「男と女」を見ているのですから。

 最終的に、やはり三角形は安定したカタチをとることなく一端崩れ去るのですが、再び彼等が安定した三角形を成すかもしれないという予感が起ります。それは実にさりげなく、かつユーモアに溢れたプレゼントとして観る側に贈られるのですが、さて、その期待の前に母親と息子は、これまでよりもさらに強固な関係を築いて置かねばなりません。不安定なままの二人でいれば、そこにまた男がやって来ても同じ結果を招きかねないから、物語において三角形は往々にして脆く、崩れやすいのです。だからこそ、ラストカットはそれまで一度も見せたこともない力強い構図の中に二人を収めます。カメラがさらに一段後ろに下がって距離を置いても、桟橋の先に座る彼等は、深いパンフォーカスの中央に、今やぼやけること無くはっきりと在るのです。

ひと言メモ

監督:ショーナ・オーバック(2004年・イギリス・106分)ー鑑賞日:2005/10/23ー

■名作だとか良作だとかいうのとは別のところで、一生大事な宝物のようにしたい映画というのが幾つかあって、僕にとって本作はそんな宝物のような映画の一つです。
■なぜ最後の場面はあんな曇り空なのか。普通の感覚なら澄み切った青空の下、撮影に望むのかも知れませんが、僕はあの二人だけの風景、曇り空のおかげか、まるでモノクロのようにコントラストが強調されている画がとても好きです。イギリスだから、というのが尤もらしい気もしますけど。
■チラシ画像ではちゃんと三人映っているのですが、上の○に切り抜いた画像は男二人がかけっこしているところをトリミングしました。このカット、ほんの一瞬なんですが、とても好きです。これ以外にも本作には、美しい画がいたるところにあります。女性監督らしい画作りだと思います。
■記憶によれば、たぶんこれは2005年に映画館で鑑賞しました。感想文を書くまでに3年以上も経ってしまいましたが、これまで寝かしておいて結果的には良かったかなとも思います。