ここ最近、体調が比較的安定していて、部屋で大人しくしているときに自然と手を伸ばした先に在ったのは本でした。そう言えばしばらく読書してなかったな…と思ったのですが、身体が穏やかであれば、自然と本を読みたくなる、もしくは本を読むときに受ける意識されない重圧に十分耐えられると気付いたのでした。昨年末など、今は読書している時間が一番楽しいと強く感じたり、就寝前の睡眠導入としても本は活躍しました。かつて誰かが言ったように、身の回りのあらゆる物を捨てても、本は最後まで手放さずにそばに置いておくべき物…という気持ちがありました。でも残念ながら、そのささやかな理想のようなものも改変することとなりました。
もうすぐやって来る、深刻な物資不足による文字通りの「地獄」をどうやり過ごすか?
もうすぐ、というのは5年後や10年後のことではなく、早ければ、再び40℃超えの殺人的な夏がやって来るまでのことで、まったく世間に関心のない浮かれた老若男女もさすがに気付くのではないでしょうか。これまで普通に買えていた品々が、何となく手に入れるのが難しくなっているという事態に。
物だけではなく、電気もろくに使えない計画停電が実施されるようになり、そうなると空気のような存在だった水周りも自由に使えなくなる。オール電化の住宅など即死です。かと言ってレガシーな住居においてもガスコンロさえ使えなくなる事態が訪れそうです。既にアチコチで指摘されているように、医療方面で大きく物資不足が発生していて、今後の人生(いや、もっと言えば生死)を分けるのは「なるべく健康でいられるかどうか」「偶発的事故に遭わないでいられるかどうか」によって左右されそうです。保険を掛けていたって意味が在りません。お金が支払われる以前に、本来提供されるはずだった医療それ自体が受けられなくなるのですから。
さて、エンターテインメント方面も電気が途絶えた途端に無意味化するのは電気を必要とするものたちで、我がMac miniも一瞬にして何の役にも立たないアルミの固まりに堕ちます。iPadやiPhoneのバッテリーを満タンにしようと思ってもコンセントまで電気が送られていなければどうしようもない。じゃあ映画館へ出向いて映画鑑賞でも…と思ったところで、電気を使うあらゆるサービスは全てシャットダウンしているのです。
本は最後の砦…だったのだが
そんなとき、電気不要の紙の本は最後のエンターテインメントとして輝きます。僕と同世代の日本人がこれまで体験したことのない地獄、だから対策も取れない状態でひっそり部屋に閉じ籠っている他無い事態。音楽を聴いたり、ネットで動画を見るようなことも出来ない状況で、本はただひとつ、僕の無為な時間潰しのために開かれた存在になるのです。
しかし、物資・エネルギー源が枯渇する事態において、人口密集地に住んでいる事が正解なのか?という疑問が起きました。まず、完全に医療はダメです。食料もたとえ平等な配給制になったとしても、これだけの人口を賄う配給方法そのロジスティックが成立するのかどうかも危うい(なにせガソリン・軽油が枯渇している)。これはむしろ、なんら違いなく同じ状況であるとしても人が密集していない地方の方が精神的に耐えやすいかもしれない…。不測の事態に備え、容易く身軽に移動できるような状態にしておくべきだと考えたとき、突然、本は重荷となるのです。昔の函入りの全集は、重い。
幸い、写真に載せた荷風全集の断腸亭日乗は最近文庫化が始まり、その気があれば買い直すことも可能かも知れません。紙代が高騰していて全9巻まで無事刊行できるのかどうか不安ではあるけれど。全30巻を送り出すのに段ボール3箱を使いました。メチャクチャ重かったです。須賀敦子全集は入れ替えで文庫版に買い替えました。写真を撮り忘れたリラダンはとりあえず「未来のイブ」だけならまだしばらくは入手可能かと思います。
全集ではないけれど小島信夫の『別れる理由』は、見た目がほぼレンガで函入り3冊セットだと場所も取り、これもまたかなりの重量物だったので手放すことに。本書はもう二度と手元に置く事は無いだろうと思われる今生の別れの時、名残惜しいとふと著者あとがきを眺めていたら「校正が上がってきても結局読み返す事はなかった」というようなことがポツリと書かれていて思わず大笑い、著者本人がそう言うのであればとさっぱりとした気分で別れたのでした。
本は読むために在る物ですが、もし地獄が到来したら、火をおこすのにも役立つかもしれません。もちろん決して「焚書」というわけではなく、飢えと寒さを凌ぎ、野人として生き延びるための引き換えとして、知を燃やすのです。
2026-03-22 > シーラ・ラパーナ浄化作戦


