連載第15回
2021年1月3日
さいなら BAD iTunes ー 死して屍拾う者無し ー

iTunesを本格的に使い出したのは記憶によれば2005年で、それまでは手持ちのCDはずっとオーディオセットで聴いてきた。その前は単体のCDプレーヤーをアンプに繋げて鳴らしていたけれど、引っ越しを機にミニコンポにダウンサイジングし、しばらくはそれで不満は無かったのだが、CDの枚数が増えすぎて「あの曲を聴きたいんだけれど、どこに置いたっけ?」という場合に部屋中を探し回るストレスに見舞われた。そこでようやく、だいぶ遅くなってからのiTunesデビューである。その時の様子をたまたま写真に撮っていて、今見るとバージョンが幾つなのか分からないが、既にサイドメニューには「ポッドキャスト」や「ミュージックストア」が見られる。つまり総合百貨店化の道を突き進み始めた頃である。

ソフトウェアサービスが下手なAppleが増築を重ねた結果の総合百貨店没落

2000年に買収した「SoundJam MP」をベースにスタートした頃のiTunesはシンプルだった。以下、WWDC 2019の基調講演動画から拝借。

そして悪夢の増築が始まる。アレもコレもねじ込んで行く。

Macのローカルでは、マシン交代によるライブラリの引っ越しやら、iPod touch&iPadのアプリ管理、iTunes起動時に参照ライブラリへのパスをミスったせいでアチコチに音源が散らばったりして、気付いた時には整理する意欲も失われた。

さらに何をねじ込めば満足するだろうか。

カレンダー!(…は、意外に便利かも)

メール!!(いや、便利かも知れんな…)

このまま行くと、iTunesの未来の姿は日本家電製品そのものである。

例えば使うことの無いボタン満載のTVリモコン(え?まさかまだTVなんか見てるの?)。または高齢者が全く使う事の出来無い炊飯器の複雑なパネル

さんざんバカにされた揚げ句、iTunes 死す(わらい)

開発していた本人達も十分に頭では理解していたと思う。末期は「何でこんな事になった??」「今さら止められない!!」と侃々諤々だったのだろうけれど、おそらくこれが利益を追求する株式会社という人格の業なのだろう。あらゆる方面からの圧力のせいで、その結果iTunesはぐにゃぐにゃに歪んでしまったのは想像に難くない。そしてもう便利な道具ではなくなった。幸運だったのは、「やっぱり解体しよう」という判断が可能だったときにその決断を下せたことだ。

さいなら、iTunes

強力にOSと紐付いているMusicアプリの懸念

さて、MacOS「Catalina」で初心に帰った「Musicアプリ」。そのライブラリのファイル構成が気になったので検索してみたら、「Apple Music Appのファイル構成について」というコミュニティのQAがあった。そこに添付されている画像を見ると、かなりシンプルで安心した。保守管理も容易そうである。

だがしかし…相手はAppleである(懸念点幾つか)

ということはやはり、ちゃんとプロの方を向いた音楽ファイル&写真ファイル「管理」アプリケーションが必要なのではないだろうか?

いつかARM Macで「Music」

というわけで、散々扱き下ろしたのに未だHigh SierraでMacを動かしているFLFLは、その「最悪の状態の総合百貨店iTunes」を使い続けているのである。ARM Macの元で動くmacOSが今後2年の間に安定し、使用しているアプリやpluginがApple Siliconに対応した時、ようやく自分も作業環境を切り替えることが出来る。その時、Musicアプリが再び肥大化していないことを祈る。
願わくば、サブスクのApple Musicも切り離して(かつて大失敗した「Ping」を抹消したように)、さらにシンプルを極めてローカルライブラリ再生専用アプリに特化してくれると嬉しい…が、それは無理な話なんだろう。

「元のファイルが見つからなかったため、曲”○×▲”は使用できませんでした。元のファイルを探しますか?」はもうこりごりなんだよ!フィジカルなCDを探し回ってた頃と同じじゃないか!