連載第37回
2022年6月5日
どうせMacはプレート型に収斂する

3月にMac Studioのデザインがイマイチ、という事を書きました。ええ、書きましたよ。で、CPUなどの製造プロセスは現在最先端の5nmプロセスから先、幾多の障壁を叡智と技術で乗り越えて3nm、まさかの2nmと進化したところで、どうせ頭打ちになる。その時、パソコンの「外観」はどういう形状に落ち着くんだろうかと降りしきる雨を眺めながらぼんやり考えた。

板状だろうな。

薄くなる、再び

当たり前だけれど、再び、Macは薄くなる。iMacはM1を搭載することで薄くなった。いつかの時のようにインチキな角度で巧みにエッジだけを映して「薄いよ!」と大衆を騙すのではなく、本当に薄くなった。実物を見たときも(まだ1度しかないけれど)、「薄くなったな!」と思った。

同時にその薄くなったiMacを見て「スタンドとアゴが邪魔!」とも思った。

まだ飛べてないiPad Pro

せっかくAppleシリコンを開発して、MacのみならずiPad Proにも搭載したのに、今ひとつそのアプローチの効用が波及していない印象である。以前、iPad Proの発表時だったか、その新型のiPadに対して遂に「コンピューター」という言葉を使ったことがあった。単なるデジタルコンテンツの消費デバイスではなく、能動的に物作りや表現に使える道具であることをアピールするものだったように記憶しているけれど、今やM1を搭載して性能面ではコンシューマー向けMacと同等の可能性を持っているのに、その真の力が未だ閉じ込められているように思えて実に勿体ない。

その原因の一部はもちろん、iOSから派生したiPadOSが足枷になっていることによるのだろう。コンピューターと呼ぶにはまだどこかが…中途半端、というような。上図を見ても、パワフルというよりはどこか野暮ったい、鈍足な感じがしてしまう。まあ、見た目の印象で書いてるだけだが、どうせなら「Macで出来ることは全て出来る」と言えるくらいにはなって欲しい。

やがてiPadがMacを飲み込む世界線

逆にMacの方から未来図を眺めてみても、これまでのパソコン然としたガタイがそのまま永続するようには思えない。Mac miniでも今のところは、接続端子を多く搭載して空冷ファンを設置し、おまけに電源も搭載したらこうなりました、という結果なワケだが、もしiPad Proがキーボードが不要になるくらいに音声入力が発達して、さらに音声による制御(Siri経由)も痒い所に手が届くくらいに進化し、いざとなったらマウスも物理キーボードもサポートする万能マシンとなり、少ない本体の接続端子類は外付けドッキングステーションで拡張をお任せしてしまうスタイルになれば、Mac miniが今のMac miniでいる必要も無い。いやMac miniのみならず、iMacもMacBook系も製品バリエーションとして存在する必要が無くなる。それらは現時点で「ディスプレイの有無&ディスプレイサイズの違い」「オマケのキーボード」によって差異化されラインナップされているだけである。限界まで集積化した一枚板のプレート型になった未来のMac。ディスプレイ&バッテリーを内蔵し、ノートブック型をも代替するような物理キーボード対応への臨機応変さを兼ね備えたなら、iPadはMacを飲み込んでしまうのだろうと予測する。もちろんその未来ではmacOSとiPadOSは融合している。そんなことはみんな、やがて来る未来だと当たり前のように予想している。ついでにARMも卒業してRISC-Vになっているかもしれない。

iOS、iPadOS、macOSと分離させ、頑なにiPadとMacではやる事が違うとか、目的や役割が違うとか言っているけれど、いずれ全てのデバイスは一枚板のプレート型に収斂する。ディスプレイの有無やディスプレイサイズ、バッテリー搭載の有無、通信機能の有無etc.によっていくつかのラインナップが並ぶだろうが、基本的にみな一枚板で、統合されたOSによりどれも出来る事は同じ。

…とまあ、そんなくだらないことをずっと考えていたら、コンピューターの外観デザインの事なんてどうでもよくなった。コンピューターへの情熱が少しずつ冷めていくのを感じる。断捨離にも好都合である。まだもう少し時間はかかるだろうけど、真っ黒な一枚板のプレート型って、素敵な終着点だ。