連載第26回
2009年1月12日
立ち位置をずらせば

 主人公の女性が自宅で母親の作ってくれた朝食を摂っている場面がとても奇妙に思えたのは、その主人公がまるで壁に向かっているように見えたから。正確にはキッチンとダイニングの間に設けられた仕切りにせり出した、ちょうど棚のような部分に食器を並べていたからなのですが(その構造をうまく言葉で説明することができなくて申し訳ない)、一般に想像する食卓の風景、つまりテーブルやコタツを家族でぐるりと囲むとか、あるいは少なくとも二人居るのなら向かい合ってとる食事とはまるで真逆な、あたかも客入りの少ない定食屋の壁にぐるりと張り巡らされたカウンターのような所が食卓として設置されているのです。もちろん食事なんてものは床に寝そべっても摂れるのですが、マンションの一室と思われるその部屋の構造が、食事における本来の目的と同じくらい重要な要素であるはずの「コミュニケーション」をまるで想定していないかのような作りは(つまり家族が互いの顔を見られるように内側に向かって座るのではなく、各々外側に向かって座るような)、そこがスタジオのセットではなく、実際に誰かが住まいとして使っている部屋を拝借していることからして驚きでした。

 何となく、物語とは直接関係も無いそんな部屋の構造が気になったのは、特別他者とのコミュニケーションを大切と思っているからでもなく、建築設計に興味を持っているわけでもなく、ただこの映画の主たる舞台となるのが、実在する普段から行き慣れた映画館であり、そしてその撮影現場である下高井戸にある映画館で本作が上映されているところに偶然自分が居合わせたりする、そんな楽しい状況に刺激された…からなのかも知れません。数年前から映画を観るために頻繁に訪れている空間ではあるのに、スクリーンに映し出されたその劇場はこれまで自分が見ていた風景とはまるで違った姿を見せるのです。考えて見ればそれも当然、僕がその映画館で描く動線は、【入り口前でチケットを買い→入り口でチケットを渡し→左手にあるカウンターに沿って場内へ→気に入っている席に座る→念のため上映開始前に用を足しておく→席に戻る→上映後はカウンターにてパンフレットを購入→出口を出て駅へ向かう】とまあその繰り返しであるのだけれど、カメラはもちろん観客ではなく撮影目的があってそこに居るのですから、僕と同じその動線上を動くわけではありません。例えばカウンターの内側、映写室、物置など。
 しかし一番の発見はこれ。映画や映画館が主題となる映画を観るにあたって、あまりにも昔から経験されているために、普段は全く気にならない描写の一つとして、スクリーンから放射される光を浴びながら、その動く映像に見入る観客達、というとても説明的な風景があります。つまりスクリーン側にカメラを置き、そこから客席側をフィルムに収めた場面、言葉にすればただそれだけのシーンが本作にもわずかに登場するのですが、ここで気付かされたのは、その場所はこれまで数年も通ったこの(まさにその映画を観ている場所としての)映画館であるはずなのに、僕は一度たりとも上映中にスクリーン側に立って客席側を目撃した事が無い、という事実だったりします。

 去年の暮れ、とは言ってもつい先々週のことですが、何を思ったか柄にもなく大掃除(のようなもの)をしていたところ、隅に積もったホコリを掃き出すのに長年居座ったテーブルを移動させる必要が生じ、そして一通りの作業を終えた後にその場所へ腰をおろし休憩しつつ住み慣れたアパートの室内を見渡した際、そこには普段見ることのない風景がありました。いつもその場所にはテーブルがある故、日常に僕自身が描く動線には重ならない場所であり、当然そこから見える風景は非日常として立ち現れたのです。少し立ち位置をずらして見れば、何か違った世界が見えてくる、とはありふれたフレーズですが、話を映画に戻せば、天井にある客電を星に喩えるのは少々乙女チックとは思いつつも、これを書いている今はまんざらでもない気分だったり。新年を迎えて間も無い時期的な影響も多少あるのでしょうが。

 ところでもう一つ気になる場面がありました。この映画が初めて公開されたのは2003年ということですから、撮影は5年以上前になると思うのですが、映画の中でその劇場入り口に緑色の公衆電話が設置されているのです。普段、公衆電話なんてほとんど意識したことがないので、画の中で異質に見えたのだけれど、携帯電話がほぼ完全に世間一般へ浸透した今、その緑色の公衆電話が今でもまだそこにあるのかどうか、映画を見終わった後にチェックするのを忘れてしまったので、後日またそこで何か映画を観る機会があれば確認しておこうと思います。 チェックを忘れたのはもちろん、普段移動する動線上、その公衆電話の置かれていた場所は視界にはあるものの、視線は常にその角度へ向かうことが無いため、まるで空気のように意識しなかったからでしょう。

ひと言メモ

監督:田淵史子(2003年/日本/103分)ー鑑賞日:2008/12/20ー

■ちょうど本日映画を観てきたおりにチェックしてみたところ、まだそこには公衆電話がありました。携帯電話を持たない僕のような人間にとっては、もしもの時のため有り難い存在です。
■そうそう、もうだいぶ昔にこの劇場のモーニングショーに出かけた際、まだ開場していない出入り口からカメラを携えた撮影スタッフがどやどやと出てきたところに出くわしました。今思えば、それが本作の撮影隊だったのでしょう。