連載第36回
2009年2月23日
おしゃべりについて

 映画に限らず小説や演劇など、物語をベースとした表現の中における台詞の役割や重要性について考えたりすることがあります。普通、ある映画を観てそれを誰かに説明する場合、例えばあらすじを簡素に伝える場合などに、その映画の中で交わされた会話を使って説明することは、まずありません。つまり台詞を一切用いずに叙事的に解説できてしまう物語が根底に確固としてある中で、では一体その表層を漂う台詞にはどういった作用があるのか、なんて事を考えたりするのです。
 もちろん、心情を長々と吐露したりとか、とある人物の心無い決定的な一言を契機に主人公の上に悲劇が舞い降りたりするとか、ファンタジーや推理サスペンスなどのように、どうしても状況説明を担う台詞が必要になる場合など、言葉がとても重要になる状況もあってそれを無視することは出来ないのだけれど、それ以外の、台詞の作用を受けずとも、何ら問題なく物語がそう成るべくして動いている状況の上で、果たして台詞はどれだけ重要なのでしょうか。

 僕の知人で、かつて数年間渡英していた人が帰国後に語ってくれた幾つかのエピソードの中で「フランス人ってホントにおしゃべり好きで、ずっと会話している」という話が何故かとても強く印象に残っています。それは僕自身が、一日や二日、いや一週間くらい誰とも会話しなくても全然大丈夫なくらい、寡黙な人間(ただの変わり者?)であるのが理由かもしれず、そんなわけで、まれに誰かと会話が始まってもほとんど「聞き役」に徹する場合が多いのですが、そういう性格の人間から見る「他人が交わしている会話」は、時にうるさく感じたりすることもあります。例えば電車内で行われる携帯電話を介した不在の相手との会話、外食時たまたま近くのテーブルを囲んでいた若い女性たちの(どうでもいいような内容をひたすらに繰り返す)恋愛話、群れている高校生男子達の繰り出す今時なアクセントの言葉などなど、ともすれば不快とも感じることのある音響は、さて一体何が原因しているのか。やはりその内容か、あるいは発話している人間の感情が音声に与えた影響によって、歪になった語感のせいなのか。

 そんな事を思ったのは、この映画の中でやりとりされる多くの会話の場面で、全く物語に作用しない、単なる世間話が受け渡しされるところがあって、その会話がようやく途切れて終わってしまいそうな時に「ああ勿体ない、もっと続けても良いのに」と、とても心地よく感じられた事が幾度かあったからです。せっかく人が二人居るのだから、そこで交わされる「会話」を見せるためだけにその場面があっても良い、という画の在り方の価値に気付かされたというか。例えばウディ・アレンのよどみなく繰り出す「発話」は、同じく見せるために在るものだとしても、個人的にはうるさく感じてしまう類なのですが(たぶんそれは会話というより一方的だからかも。まあ、そもそも趣旨が違いますが)、うまく抑制された音量とテンポ感、そして語感の滑らかさがあれば、会話の内容に関わらず、それは豊かな画や動きと同じように、そこに在ることを許されるのかもしれない、それが今回の発見です。もしかしたら彼等は「それはフランス語だからこその特権なのだ」と主張するのかもしれませんが。しかし残念ながら、その箇所のカメラの切り返しは、個人的に少々うるさく感じました。

 さて、全く話は変わるのですが、映画を観る際、やはりそのファーストカットとラストカットは注意しておくよう心がけています。特に小説だと一番最初の始まりの1行目って重要じゃないですか。意外に面白い発見があったりして、ずっと心に残るものもあれば、特別大した意味が込められているわけでも無くて、すぐ忘れてしまうようなものもあったり、時にはアイデアを凝らしたオープニングだった割には本編がつまらなかったり。本作の冒頭ではまず画面いっぱいに広がった田舎の風景をバックに、中央の緑を挟んで左右に2本の道が映し出されます。数秒そのままの画が続いたので、やがてそのどちらかに動きがあるハズと思い「右から来るか、左から来るか…ここは右に違いない」と賭けて注視していたところ、裏をかかれて左側奥の遠く小さく見える道の方に動きがありました。あらら、外されたかと思っていたら、スクリーン左端からやってきたその小さなバイクは一端中央に隠れ、その緑を迂回してしばらくの後、再び右側から手前に走ってきたのです。つまりは左の道も右の道も両方使ったというわけで、その空間設計(構図)に妙に感心してしまったと、まあ、ただそれだけの事なんですが、一応書き記しておきたいと思った次第。

ひと言メモ

監督:ジャン・ベッケル(2007年/フランス/105分)ー鑑賞日:2009/02/21ー

■演劇を考えると、発話は運動でもありますか。
■そう言えばサミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』って、その土台となるメチャクチャシンプルなプロットの上で、一体どんな台詞が展開してるんでしょう?今度読んでみよう。
■小説を読んでいる時、そこの中の会話も、どういう意図で配置されているかすごく気になったりします。