連載第44回
2009年5月2日
さらなる効率向上を目指して

 多少勘の良い人であるなら、本編の上映開始後数分ほどスクリーンを眺めていれば、この監督が本作の制作作法として、幾つかのある制約を課していることに気が付くはずです。その制約の一つはともすれば「不親切だ」との批判も招くのかも知れないけれど、映画館という空間でさらに際立つそれら制約を守っていれば、ある瞬間から「美しさ」にも転じることになる。個人的にはその禁欲的とも言えるルールにすぐさま魅了され、では、果たしてそれが最後まで守られるのか否かというところに関心は集中、主題とは別に、ある種の緊張感を持って鑑賞することになりました。

 整然とした構図、ひたすらに繰り返されるループ運動の生起するリズム、このような美しさはそこに明らかな人為が加えられているからに他ならず、それは生産・作業効率を高めることを至上目的とした結果、徹底的に無駄の省かれた姿でもあるのです。まさか、そういった状況で行われる諸動作が醜くなろうはずがありません。人間が関与すればするほど、そこには自然の持つ複雑さ(という豊かさ)とは対極にある、無駄の削ぎ落とされた美しさがさらに純度を増していきます。
 また注意すれば、当然ながら作業中の人間や動物、機械の発する雑音までも整然かつリズミカルであることに気付きます。しかしその労働時間中には、およそ人と人の間に「会話」が交わされることはなく、実感上では無音とも言える状態が続くのです。仕事中なのだから当たり前の事なのですが、それもまた、画面から放たれる美しさに寄与しています。

 幾度か、作業の合間に昼食をとる労働者の姿が挿入されます。一人で静かに摂っている場合もあれば、ようやく会話が生まれている場面もある。ここで重要なのはあえて、食物が市場を経由し一般家庭の食卓へ上がった風景を描かなかったというところ。本作でカメラが捕えているのは、あくまで人間の営為として当たり前にある、純朴とも思える労働の後の風景なのです。従って、ここに並べられた映像からは安易な自己批判など発生しないはずであり、もし本作の鑑賞者が自ら何かしら警句めいたコメントをつぶやくとしたら(例えば「この労働者たちはただの機械に堕した寂しい人達に過ぎない」などといった安直な類)、それは既に他メディアから既得している情報に寄るものに違い在りません。このフィルムを流れていくのは、ただ規則正しく静かに運動する物たち、つまり「美(そして若干のユーモア)」それだけなのです。そして冒頭に期待したその態度は遂に最後まで徹底され、ニコラウス・ゲイハルター監督は「映画が沈黙する」ことを恐れないタイプであることが90分の時間を経て判明するのです。

 さて、確かに本作で描かれているのは非常に効率化された食物生産の風景。ここにもし遺伝子組み換え食物が描かれていたとしたら、では、遺伝子組み換えはどうして行われるのかと言えば、消費者にとって「より美味しくある為」でもなく、また「栄養が豊富で健康に寄与する為」でもなく、ただ労働の省力化を目的として除草剤耐性強化などが行われているということは意識しておくべきでしょう。しかし今後加速度を増して増え続ける人口に対応するには、さらなる生産効率の向上を目指さなければならないのですが、思うに、将来いくら遺伝子組み換え食物が洗練されたとしても、現状の食料を巡る市場構造は根本的に「非効率」なのではないか。その非効率を完全に取り除く事の出来ない、システム上にある諸悪の根源は何か?

食物は何もかも、いのちを経由している。

 つまり僕等が口にする食物はほぼ全て、この世に生まれ育った「生命」を経由した後に残った肉塊、あるいは細胞組織です。それを得る為にいのちを経由していることこそが要求する、そもそも産ませ・育て・殺してさばく、その古代から連綿と続く工程こそが非効率なのです。さらには牛肉1kgを生産するのに必要な穀物は何kgになるのか、そしてそれを育てるのに必要な水資源は何倍必要になるのかと…。
 そこで僕がふと思い巡らせるのはiPS細胞、その技術応用の未来なのです。先端再生医療の希望として世界中がしのぎを削って研究に取り組んでいる幹細胞技術(既に日本は大きくアメリカに差をつけられてしまいましたが)。それが失われた臓器や骨、毛髪などの補完に当てられる時代を超えた先にあるのは、もしかたら「いのちを経由せずに直接肉塊を生成させる」技術かもしれないと。生命を宿した事のない食物を人体内に摂取する…その行為はやがて人体に後戻り出来ない甚大な悪影響を及ぼすでしょうか。しかし確実なのは、そのような技術が確立された時、動植物にとってはかつてない幸福な時代の到来であることは疑いの無いところ、高効率化により無駄を省くことによって洗練されてきた美はその特異点で反転し、古代にあった複雑さのもたらす豊かな美が再び世界を覆うのです。直接生成された肉塊・細胞組織、豚のようだが豚でない、牛のようだが牛でない。果たしてそういった食材は食料難にあえぐ国々だけでなく、あらゆる宗教の敬虔な信者達にも恩恵をもたらすことになるのか。 …あるいはこれは、極めて悪趣味な悪魔的発想でしょうか?

ひと言メモ

監督:ニコラウス・ゲイハルター(2005年/ドイツ・オーストリア/92分)ー鑑賞日:2008/04/05ー

■見終った瞬間、何かしら達成感を覚えたりして。まるで退屈することのない、優れた映像の連鎖だと思います。あ、ユーモアもあって笑ってしまった場面もいくつか。
■先日、数十年ぶりに『ソイレント・グリーン』を光学ディスクで観たのですが、何としてもカニバリズムだけは回避したいものです。