まわるフリフリのフリ
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放談ラジオ ― 連載第19回

一期一会という方法(カフェ小昼、のこと)

2012年10月27日

 そろそろ10月も終わりが近づいているというこの時期、今さら既に遠くへ過ぎ去ってしまった夏の思い出を書くなんて…とは思うのですが、一息ついて書ける時間がちょっぴり出来たということでお許し願おうと思います。今回はカフェ小昼(コビル)について。
 僕がこのkobiruを知ったのはおそらく3年ほど前になるでしょうか、どういうわけか珈琲やカフェといった、それまでまるで縁の無かった方面に少しだけ興味を持った時期があって(今もやんわ〜りと続いてはいるのだけれど)、雑誌やネットの情報を眺めながら自分の趣向に合いそうな店を見つけては、暇が出来たときに足を運んだりしていました。その頃少し体調を悪くしていろいろ悩んでいたのですが、何となく玄米を摂り始めたら身体の内側から結構な変化があって元気を取り戻したというのがすごく新鮮な体験で、じゃあ何となく身体に良さそうな食事を提供してくれているお店はあるかしらん、という条件で巡りあったのがカフェ小昼なワケです。

 そうしてネットの情報を頼りに最寄りの駅を降りてしばらく歩きながら探していると、実に目立たないところにありました、お目当てのコビルは。場所も目立たなければ店構えからして地味。意識していなければそこがカフェであることすら気付かないくらい。店内も10席ないくらいで、すごく狭い。しかし普段から所謂オシャレなお店とはまるで縁がないというか、そういう場所は緊張してしまうので全く近寄る気が起きない僕には、日常感覚のままお気楽に入れるドンピシャなお店でした。そして、お店を訪れた人がブログなどで絶賛し紹介している日替わりごはんを注文し、しばらくして出てきたのがコレ(↑)!ドン!
 まるで予想もしていなかった豪華さというか、まず何よりも色彩としての華やかさに驚きました。食材が持つ本来の色を素のまま出してきていることの新鮮な驚きというか、量としてはとてもささやかでお腹にどっしりくるというわけではないけれど、見た目と味が素直に直結していることの大切さというか、ありがたさというか。とりあえずコチラ(↑)の黒板に書かれている献立内容と運ばれてきた食事(↓)は同日に撮ったものなので(2010年6月の撮影)、どれがどれなのか見比べてみると楽しいかも。

でも閉店したんだけどな

 と、ここまで長々と紹介しておきながらもこのカフェ小昼、今年8月の12日に惜しくも閉店してしまったのですけどね。その頃「もう最後に訪れてからだいぶ経ってしまったけれど、身体のリセットに、またあの日替わりごはんを食べたいなあ」と思っていた矢先の事です、どこからとなく小昼が閉店するという話を聞いたのは。
 もうあの日替わりごはんを食べられなくなるのか!となれば、それはやはり出かけないわけには行きません。ただその話を聞いたのがもう閉店数日前ということもあって、行けるタイミングとしては今週末しかない、しかしあの小さいお店に予約無しで出かけて都合よく席が空いているとも思えない…。そんなことを不安に思いつつ、閉店するその当日に電車に乗って最寄りの駅を降り、テクテクとお店へ向かいました。10分ほど歩いて「その角を曲がればお店が見える、あ、人も並んでいないしこれはラッキー」と久々の日替わりごはんを期待しつつお店の前に到着、開け放たれていた引き戸越しに中をのぞき込むと…閉店当日のお店では当たり前の風景、当然のように満席でした…。ちょうどその時お店の方と目が合って「ダメですか?」と声には出さずにジェスチャーで両手をクロスさせてX印を作って外から確認すると、申し訳なさそうな表情でペコリと頭を下げられました。この辺りは他に日差しを遮って時間をやり過ごす場所も全く無いし(もちろん猛暑、気温も軽く30度超の日中です)…と一瞬考えて、すぐさま今来た道を逆戻りしました。日替わりごはんにありつけなかったのは残念ですが、まあ、そういうものなんでしょう。自分でも意外なほど素直に諦めが付きました。帰りはいつもとは違う道をわざわざ遠回りに、ちょっと探検がてら散策していたら、いつ出来たのか真新しい珈琲屋さんがあるのを見つけました。

常連さんと、通りすがりの人

 さて、なぜ今さらこんなことを書く気になったのか。そこそこに(マニアの間では)名の知れたお店が閉店するとなれば、やはりその場所に愛着のあるお客さんが最後の別れにと訪れにドーンとやって来るのは当然でしょう。そういう場合、お店側としてはどう対応するのが良いのだろう…と考えちゃったりしたのです。だからいつものように本題よりも前置きが長くなったけれど、今回は「何度も通ったあのお店が無くなって悲しいよねえ」とか「このお店の出す品はどれもこれも美味い!」という話がしたかったわけではなくて、一つの結節点としてお店を捉えた場合、その点に立つ者としてそこを流れていく人との出会いをどう捉えるべきだろうといろいろ考えました。

 以前、とあるお店が閉店することになった時、閉店までの数週間は混雑するのを見越して「常連さんのみ限定」と来店する人を制限したことがあったのを思い出しました。お店は開店するよりも閉店する事の方が難しい…と言います。店を閉めるというのは、やはりいろいろ考え悩んだ末の苦渋の決断であるわけで、それまでお店を支えてきてくれた親しいお客さんとの別れを惜しむ大切な時間を確保したいという主旨はよく分かります。閉店すると知って話題作りに慌ててやってくる何処の誰か分からない一見さんよりも、慣れ親しんだ常連さんを最後だからこそちゃんともてなしてあげたい。当然です。
 しかしそこで、もし自分が「運良く条件に適合した常連さん」だったとしたらどう感じるだろうと思いました。仮に閉店するまでの常連専用期間を2週間としましょう。もちろんその期間中にお店を訪れることでしょうが、しかし当たり前ながら連日出向くわけにも行きません。すんごい暇人だとしても連日通ったら話のネタが枯渇してしまって逆に居づらくなってしまうではないか。またこういう設定の場合、やはり皆最後のギリギリになって来店して結局混雑してしまう…というオチにもなりそうです。
 そして、たまたま居合わせた他の常連さんの中にこんな人が居たら…と想像しました。ふいにドアを開けて入ってきた一見さん、つまり今の期間が常連さんのみに制限されているということを知らずにやって来た普通のお客さんに対して「申し訳ないけどちょっと今は親しい仲間内だけしか受け付けていないんでご免ねー」などと店主を差し置いてその常連さんが言放ったとしたら、それはちょっと…否、非常に残念な事ではないか…いやむしろ気持ち悪いかもしれない。以前読んだ太田和彦著『ニッポン居酒屋放浪記』にも書いてあったように、僕の考える店主の密かなお気に入りの常連さんとは、頻繁にやって来るけど一番目立つ場所を陣取って大きな声でおしゃべりする人ではなく、ふと気付くといつもそこに居て、商売や他のお客さんの邪魔にならないよう隅の方で静かにお酒を味わっている人というイメージです(多少演出入ってますが)。つまり、そのお店が未だ知らない人と新しく出会うことを阻害しないことが、あるべき態度なのではないかと。

 まあ、とは言え僕もカフェ小昼へは計3回しか来たことがなく、まるで常連さんじゃないわけですが、カフェ小昼が閉店とは言え特別な機会とするような発想もなく、ただその時にやって来たお客を当然のように招き入れ、たまたまそんな混雑している時に出向いてしまった僕のような巡り合わせの悪い人にペコリと頭を下げる、そんなユルい成り行きまかせな姿勢にとても好感を持ったのでした。

 じゃあさらに想像を広げて、僕が小さなお店を開いたとしたら…。もちろん、たぶん、普通に、常連さんがたくさん出来たら嬉しいな、と思います。毎日とは言わなくても、毎週とか、毎月給料の出た後にとか、毎年ハロウィンの日だけとか…そんな風に繰り返しやって来てくれたらそりゃ嬉しい、これ正直な気持ち。でも例えば、状況を意地悪く単純化して究極の選択を迫ってみます。100人の常連さんが毎日お店に来て賑やかにしてくれるのと、決して誰も二度と来てくれないけど100万人の見知らぬ人たちが毎日少しづつやって来て、少しだけ言葉を交わして通り過ぎていく場合です。両方を比べてみた時、僕はたぶん後者を選ぶだろうなと思うのです。

ーー追記ーー
 東京でのカフェ小昼は閉店しましたが(もう更新が終了した小昼のブログ)、お店のお二人は意表をついて何と盛岡に移動(わーーー)、そして『Komori 小森』開店の準備中だそうです。なんで「コモリ」なのか全くワケが分からないのですが、小森と聞くと中学生の頃の部活の先輩を思い出して笑ってしまいます(すごく変で可笑しい人だったのです)。というか、僕は盛岡に行く機会など今後もたぶん無いのですが、お近くで興味のある方は是非。