まわるフリフリのフリ
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放談ラジオ ― 連載第18回

Kのこと

2012年10月14日

 6月8日に偶然、玄関の前でひっくり返ったままバタついているところを拾って、結局3ヶ月もの間ずっと飼っていたのだけれど、先月9月の1日、カブトムシのKは死にました。たぶん寿命だったのだと思います。まさかこの歳になってカブトムシを飼うことになるとは思いもよらなかったのですが…もちろん、子供の頃のように突然の昆虫の王様の登場に無邪気にはしゃいでいたわけではありません(若干、当時のそんな感覚を思い出したりはしたけれど)。飼い続けた事の主たる理由は、おそらく「哀れみ」だったのではないでしょうか。

 以前書いた通り、ここ東京で幾度かカブトムシやらクワガタに遭遇したことがあるのですが、これまではすぐに草むらに投げ放ってやったりして飼うことはありませんでした。それが何故今回に限って飼うことになったのかと言えば、これからいよいよ梅雨入りする直前で肌寒かったこともあるのだけれど、早産(?)というか栄養不良というか、カブトムシと呼ぶにはKはとにかく体が小さく、出会った時も逆さまになったままなかなか自分で起き上がれなかったりと「この自然の中で長く強く生きていけそうにない」という印象があったからなのです。本来は胴体に対してもっと長くあらねばならない角も非常に短いし、手足の細さもか弱いと言えるほどで、実際カブトムシなんか見るのは何年ぶりだろうかという友人に見せた際の第一声が「小さいな!!」だったくらいです(もちろん普通のコガネムシなんかと比べれば二回りくらい大きいのですが、普通イメージするカブトムシの大きさからは一回り小さいという感じです)。
 そうして始まったKの居候、まずは簡易な段ボールハウスを作り、昆虫マットを敷き詰め、毎朝毎晩エサを取り替え与えるという仕事が日常の中に加わりました(昆虫ゼリーは気に入らなかったのか全く口にしなかったのですぐに止めました)。まだ肌寒い梅雨の期間は外に逃がしてもすぐ体力が失われるだろうから、とりあえず飢えることのないこの環境でしばらく栄養を摂ってもらい、まずは元気になる方が先決だろうと思ったのです。
 僕は、昔見た樹液の出る貴重なエサ場にたくさんの昆虫が群がっている場面の印象もあって、Kもエサが得られるこの場所を自分のテリトリーとし、デカい態度をして居座り始めるだろうと思ったのですが、しかしそんな予想に反し、Kは幾度となくその段ボールハウスからの脱出を試みました。あるときは蓋をこじ開け、夜中に大きな音を立てて部屋を飛び回ったりして僕の睡眠の邪魔さえしました。「ここを出れば食い物にありつけなくなるぞ」と、まるで間抜けな世間知らずを見るような目でKを再び段ボールハウスに戻したりしながら(脱出してもKは度々床にうっかり転がってしまい、起き上がれずにバタバタしているので僕が持ち上げて元に戻してあげなければなりませんでした)、しかし連日全く諦めもせず度重ねる脱出に付き合わされているうち、ふつふつと疑問が湧いてきました。毎日十分に食料が得られる場所に安住せず、何故こことは違う場所を目指そうとするのか。飼い馴らされている猫や犬などの哺乳類同様、空腹で苦しむことなく常に腹いっぱいに満たされていることが一番幸せなのではないかと。
 昔から何故か僕の中には「飢えに対する恐怖」があるようで、以前から日本の自給率の低さを憂いたりしているのですが(僕自身が長期間の飢餓状態を体験したわけでもないのだけれど)、それは多分、飢えによって生活の時間のほとんどを食料を確保することのみに費やしてしまい、文化的な好奇心を持つことさえ許されない状況への恐れがあるのではないかと考えています。しかしそういう考えに照らし合わせると、Kの行動は全く不可解になります。あるいはこれは、満たされているが故の好奇心の発現なのか(この考えはこの後、間違っていたことが分かります)。
 そんなことをアレコレと考えつつ、梅雨が明けた後にはすぐに自然(この近辺を自然と呼べるのなら、だが)に返そうと、時間の出来たときに近所数キロの範囲をあちこち歩き回って、カブトムシの類が生息していそうな場所を探しました。ある程度の本数の木々が群生している所もチラホラあったりはするのですが、しかしKが好む種類の木はまるで皆無、いくら「木が生えているから」と言ってもそんな場所に放擲しては数日と持たないでしょう。そうして1ヶ月、2ヶ月と、非日常がもう日常に変容するのに十分な時が過ぎたある日のこと、Kの様子に異常が見られました。6本ある足のうちの1本、鉤爪の先までの細い部位が途中から無くなって、近くの床に取れ落ちているのを見つけたのです。以前からKは足の爪が段ボールなどにひっかかっているのに構わず突き進もうとしたりするところがあって、今回はそのまま強引に足をひっぱってしまったのではないかと推測しました。痛みを感じているのかどうかは分からないけれど、移動には支障がないようなのでそのままにしておきました(無論、僕に出来ることも無いのですが)。しかし事態はどんどん悪い方へ向かい始めました。また数日後には別の足の爪先が無くなっていました。それがもぎ取れてしまう状況を想像できないまま、そう言えばいつころからかKは飛ばなくなった事に気付きました。以前は夜中になればブンブンと段ボールの中を飛び回っていたのに、もうすっかり騒音を立てることがなくなっていました。ちょうど正常なオスなら普通にある発情期(僕が身体を持ち上げると普段とは違う刺激を受けるせいなのか「反応」したりした)を過ぎたあたりでしょうか、幾分元気も無くなっている気もする。しかし2本爪を失っただけならまだ外に放てるだろうと、今度はもう少し遠方までエサ場になりそうな場所を探してみたのですが、元来地元出身でもなく土地勘も無いためやはり適当なところを見つけることが出来ず、そうこうしているうちにKの爪先は全て取れて無くなってしまいました。人間で言えばもう高齢者にあたるのでしょう、外殻は頑丈に見えても、中身は既に全身がボロボロになっているようでした。これでもはやKを外に放つことは不可能になりました。
 しかし、人で言えば手首・足首が無くなっている悲惨な状態であるにもかかわらず、Kはそれでもまだ段ボールからの脱出を繰り返しました。以前とはまるで違う、遅々として進まない緩慢な足取りではあったけれど、なんとかして重い身体を引きずり動かしながら、ある時は一日をかけて部屋を何メートルも縦断していたりしました(どこに隠れたのか探すのに苦労した)。このころには僕はもう「どうしてあげればよいか全く分からない」状況でした。やがてKはエサにも反応することが無くなってその2日後に死にました。
 思えば、死の直前まで、Kは成虫であった3〜4ヶ月の期間を通して「ここではない何処か」を求めて運動し続けていました。まるで単純な機械であるかのように反復して。その衝動こそがKにとっての生きる意味だったと考え始めた時、僕が今一番後悔しているのは、これまで通りすぐに外へ放さず余計な親切心からエサを与えて囲ってしまった事です。それは親切でも何でもなく、ましてや哀れみですらなく、ただ緩慢な死の強制だったのではないか。もしKが言葉を話すことが出来るのなら「たぶんお前がどんなに飛び回って探してもエサにはありつけないと思うし、彼女にも逢えないだろうし、うっかり道路に着地したりしたら自動車に轢かれちゃうかもしれないけど、それでも外へ出たいか?」と尋ねてみたかった。もしKが「それでも」と言えば、僕はすぐ決心がついて外に放つことが出来たと思います。昆虫が低能だと誰が断言できようか、生涯冒険者、あるいは沈黙の哲人かもしれないのです。いや、やはりそれは無いかな、分からないけど。
 おそらく今後はもうカブトムシを見つけても放っておくでしょう。それにしても、卵が先か鶏が先かではないけれど、Kの生き様を思い出すたび、カブトムシは卵・幼虫・サナギ・成虫と人間では考えられない複雑な変態を経る中、どの時点で「自分はカブトムシである」ことを選択・開始したのだろう?と考えたりします。その時ふと、死に際に彼は母親のことを思い出したりしたんだろうかと思ったりもしたのですが、すぐそれはまるで馬鹿な発想だと自分を笑いました。Kは母親が誰なのかさえ、ましてや母という概念すら知る由もないのですし。