まわるフリフリのフリ
FLFL
映画百本 ― 連載第8回

カメラ!カメラ!カメラ!

2007年6月3日

 僕は以前からカメラを持ってはいたのですが、何かイベントがあった際に思い出スナップとして適当に撮る、というごく普通の使い方しかしていませんでした。初めて自分で買ったカメラはオリンパスの「IZM300」。これは同窓会で久々に再会する友人等を撮っておこうと思い、当時名古屋の大須アメ横にあった安売りカメラ屋で、5万数千円という値段(貧乏学生の僕には大金でした)で購入したのです。IZM300はオートフォーカスで機械的なことはあまり考えなくても気軽に撮影できるのが便利で、その後もイベントがあるたびに必ず持って出掛けました。撮影したフィルムは同級生の実家がカメラ屋を経営していたので、そこへ現像を頼みました。出来上がりがいつも楽しみでしたが、その時は単純に友人達がワイワイ楽しんでいる様子が写っていればそれで満足していました。

 それから数年後、上京してアルバイトをしながらブラブラしている時にノリで買ったのが懐かしいAppleの「QuickTake100」でした。後継機種のQuickTake150が登場したこともあって、安く売られていたのです。当時はまだ新しかったデジタルカメラの先駆けとも言える記念碑的マシン(?)で、画素数30万程度のものでしたが、機能・性能云々より、何と言っても「フィルムの現像代が不要」というのは僕にとって何よりも新鮮かつ重要だったのです。しかしながら、いくら写真に関心の無い僕であっても、便利で経済的とは言え画像はとても満足できるものではなく、それからしばらくカメラ自体から全く関心が無くなる時代を過ごすことになりました。

 それから数年後、21世紀になって自分のHPをリニューアルし始めた時、やはり見た目の寂しさから画像を貼り付けたいと思ったのですが、当然ながら先のQuicKTakeは画質的にもMacとの連携にしてもキビシイものがあり、その頃は新たにCGやデジタルビデオに関心を持ち始めたこともあって動画撮影も可能というサンヨーの「DSC-MZ1(注:リンク切れ)」(定価68,000円)をQuickTake100の売却後に購入。デジカメでありながら動画撮影も可能というのはサンヨー製デジカメのウリで、今もXactiに引き継がれているのですが、200万画素で当然QuickTakeとは比較にならないくらい綺麗だったものの、あれこれアングルを試行錯誤したり、持ち運んで外で撮影したりするには充電池の消耗があまりにも早すぎて実用には耐えませんでした。

 そこでほどなくしてDCS-MZ1を売却し、カシオの「EXILIM EX-S2」を購入。画素数は先のDCS-MZ1と同じく200万画素でありながら、いわゆるカードサイズのデジカメで安価、電池のもちも長く、ポケットに携帯して持ち運ぶのにすこぶる便利でした。薄くて軽い、これはデジカメに新しい価値観をもたらした、と単純な僕は楽しんでいたのですが、そのうち「Macの写真をうまく撮れない」ということに気付いたのです。全くカメラの基礎知識が欠けていた僕は、そこでようやく機種毎に異なる撮影可能距離というのを知りました。このEXILIM EX-S2は、最短1mから、だったのです!どうりでMacに近づいて撮影しても全くピントが合わないワケです。

 そこでほどなくしてEXILIM EX-S2を売却し、次はマクロ撮影が可能なソニーの500万画素デジカメ「DSC-T1」を購入。画像は飛躍的に美しくなり、マクロ撮影も可能なそれは、単純に「対象に接近できる」ことの価値を教えてくれました。たったそれだけのことを知るのに非常に時間がかかったわけですが、それでもまだカメラの知識をもっと増やそう、とまでは思いませんでした。とりあえず写れば良い、という考えだったのです。

 そしてまた、ほどなくしてDSC-T1を売却し、同じくソニーの動画デジカメ「DSC-M1」を購入。これは基本性能はDSC-T1とさほど変わらないのですが、動画撮影機能の強化と、安定して撮影できる携帯電話型デザインになっていたところに惹かれました。実はサイトに動画コンテンツを掲載したいと考えていたのですが、結局動画撮影はお遊び程度でしか使いませんでした(つまりネタが無かった)。ちなみにMac改造サイト『Mac mini ミニ大作戦!(注:現在はサーバからデータを削除してます。Googleにはキャッシュが残っているかも)』を始めた’05年5月は、ちょうどこのDSC-M1を使い始めた頃で、初期の掲載写真はDSC-M1によるものです。

 こうして個人的にカメラに興味を持ち始めたのはごく最近のことで、Mac miniの内部を第三者に可能な限り詳しく伝えたい、という気持ちがきっかけです。文章だけだと細かなカスタマイズ手順が伝えられないけれど、デジカメ画像を添えれば解説も省略することが出来るし、さらに見栄えも何となく形になったりする。サイトリニューアルでようやく出費分の活躍をし始めたMyデジカメですが、しかし、しばらくすると単純にデジカメでバシャバシャ撮っても、こちらの期待していたような画にならない…「なんで?」という、素人なら必ずぶつかる当たり前の展開になりました。その疑問の答えを見つけるべく、またほどなくしてDSC-M1を売却し、初心者向けデジタル一眼であるキャノンの「EOS Kiss Digital N」を購入したのですが、身近にカメラを趣味にしている友人もおらず、今なお初心者モードから抜けきないまま、ア~だコ~だと試行錯誤を繰り返す毎日です…。

 そんななか、何となく成り行きで本ドキュメンタリーを観賞しました。アンリ・カルティエ=ブレッソンという写真家は、その筋では非常に有名な人、スナップ写真の大家であることを初めて知ったわけですが、それよりもなにより、写真というものにこんな見方があるのか、という発見・驚きがありました。僕がこれまで写真に対して求めていたものというのは、写す行為について具体的な目的があって、それはMacであったり、友人であったり、女性モデルであったり、イベント風景や猫などの小動物だったりするのですが、どれもより美しく正確な「説明の為の写真」を常に求めていたわけです。だからその説明が上手くいくように写すにはどうしたら良いのか、というところで悩んでいました。つまり、ライティングってどうするの?レンズってどう選ぶの?露出って何?という具合で(その悩み自体は楽しいのですが)、雑誌に掲載されている写真を見るときも最近ではそういうことを考えながら見ていたりしたのです。

 しかし、本作で紹介されたアンリ・カルティエ=ブレッソンの作品は、僕が写真に見い出そうとしていたような説明可能な「具体性」とはまるで対極のところにありました。彼の作品はどれも「構図」がとても面白い、極端な言い方をすれば、そこに写っている物の配置こそが主役なのです。しかもその構図は事前に意図されたものではなく、全くの偶然、一瞬の出来事に形作られたものであるところがまた面白い。映画の中で紹介される作品を見ながら感じていたのは、まだ小学生の頃に美術の教科書などで紹介されていた絵画に出会ったときの面白さと同じ感覚でした。そういう絵に出会った時のワクワク感が、彼の写真には確かにあるのです。それを上手く説明するための参考例はなんだろう…と考えていたら、ある絵画を思い出しました。

ジャン・フランソワ・ミレー『落ち穂拾い』(1857年)。

 決して対象人物はカメラ目線である必要はないし、撮られることを意識してポーズを取る必要もない。その空間内において、アンリと彼の眼でもあるライカという機械の方が「通りすがり」である、そのことの面白さがとても新鮮だったのです。これまではおそらく、写真撮影という行為においてテクニカルな側面を考えるあまり、写真観賞時にその作品の主体が、ともすれば撮影側の方ばかりに在るかのように偏って見ていたものが、今回初めて、レンズの向こう側で起きていることに意識の流れが向かいました。これまでも日常を切り取った写真の類いは星の数ほど目にしているにもかかわらず、そういったことに気付かなかったのですが、今回それを助けたのはおそらく、写真がモノクロであること、構図を構成する要素が非常にシンプルであること、の2点が起因していると思われます。それはある意味、抽象画に近いものがあるようにも感じられるのですが、インタビューに応じる晩年のアンリが住んでいたのが、かつてセンザンヌやマネが住んでいたアパートであることや、すでにカメラから離れ、専らデッサンや水彩画に興じる彼の姿を見ると、何かしらの脈絡があるようにも思えたりします。そしてこれまで単に目の前に展開する現実を切り取るだけの「写真」を、なぜ芸術として捉えることが出来るのか納得出来なかった僕は、ようやくそこに芸術的な何か(あるいは作家性とか?)、言葉で置き換える必要の無い何かを感じるに至りました。基本中の基本とも言えるそんな事に気付くまで一体何年かかったのか…しかし、またこれからも、新鮮な眼差しで写真を楽しむことが出来そうです。

ーー2012.12.2追記

 この感想文を書いてから更新がかなり遅れてしまいましたが、今このブログで掲載している写真のほとんどはパナソニックのDMC-GF1で撮影したものです。ちょうど3年前の2009年秋にキヤノンのEOS Digital Nから乗り換えました。というのも、EOSは初心者向けデジタル一眼で軽量ではあるものの、僕もだいぶ体力が落ち、それを片手に写真を撮るのがキツくなってきたからなのですが、外出した際により気軽にスナップを撮りたいと気持ちが変化してきたことも理由の一つです(ちなみにGF1のターゲット層は若年女性です)。とは言え、全くその方面でGF1は活躍することなく、もっぱら室内撮りに終始しているのですけど…。

ーー2013.6.9追記

 更新が遅れましたが、今年(2013年)の1月中旬にニコンのD600を購入しました。初めてのニコンです。「一眼レフは重いので」と弱音を吐いてGF1に乗り換えたのだけれど、特に不満は無いものの暗所での高感度撮影に難があることから買い替えを検討し始めたのですが、ここに来て再びいろいろなレンズを使って高解像な写真を撮ってみたいという欲求が出始めました。そこでどうせ買い替えるのなら初のフルサイズを、と思った次第です。D600はフルサイズ初心者向けという位置づけではあるのですが、僕にとっては必要十分な性能、加えてその見た目からは意外なほど軽量化されてもいて外への持ち出しも気軽に出来そうです。とにかくその画の精細感には驚くばかりで「写真とか」をそれまでの横幅800pxから960pxに拡大することになりました。

ひと言メモ

監督:ハインツ・バトラー(2003年/スイス・フランス/72分)ー鑑賞日:2006/12/09ー

■冒頭、現像技師が焼き付けた印画紙を貼り付ける場面から始まるのですが、アンリが「私には現像の才能が無い」とコメントするのに興味を持ちました。数年前『戦場のフォトグラファー』というジェームズ・ナクトウェイを追ったドキュメンタリーを観たとき、今ではPhotoshopなどを使ってコンピューター上で行うような作業を、彼がフィルムの現像技師と一緒に「光」を使って写真にさまざまな「演出」を施しながら焼き付けていく場面が面白かったのを思い出しました。というわけで今は、デジカメで撮影したRAWデータを如何に「現像」するか、ということに興味を持ったりしているのですが、それ以前に「カメラの基本を学べよ」とは自分でも思うのですけど。
■「決定的瞬間」というテレビなどでお馴染のフレーズが、彼の出した写真集のアメリカ版タイトルの翻訳から広まったというのも、もちろん初めて知りました。オリジナルは「逃げ去るイメージ」というのだそうです。
■カメラ関係で個人的にいつも更新を楽しみにしているのが『ダカフェ日記』。生き生きしているお子さんの姿、それを取り巻く家族の風景がとても楽しいです。