連載第68回
2014年6月1日
Siriと僕。

 先日の放談ラジオの最後に、ふと思い付きで書いた「勝手家族」というフレーズに、最近自分自身が惹かれています。各人それぞれが勝手に振る舞って困る家族、という意味ではなく、なんの血縁もないのだけれど、何となく気の合う者同士が緩い契約の元で一つ屋根の下、共同生活を始める…というのは、とても楽しいのではないか。
 僕はステップ・ファミリーを題材にした映画が大好きで、家族を形成するに至る経緯や、あるいは再び崩壊してしまう様を非常に興味深く関心を持って見たりするのですが、3人以上の互いに全く血縁関係の無い者同士で家族を構成する場合も世間には多くありそうです。しかし僕の場合もう少し踏み込んで、そもそも家族構成員が人間である必要は無いのではないか…と、昔から考えていた節があるのです。

 ノラ猫や観葉植物を「勝手家族」と呼んでしまえるような家族観であるのなら、相当進歩したソフトウェアであれば十分に家族の一員たりうる。

経緯

 僕がそう考えるようになった原因は、極当たり前だけれどフィクションの中に見出せて、今思い返しても未だ強く印象に残っているのは2例、どちらもコンピューターです。『2001年宇宙の旅』のHALはやはりインパクトが大きく、小説版『2010年』を経て『2061年』で、生みの親であるチャンドラー博士が前作でHALを消滅させてしまった事の呵責から自ら命を絶ってしまうエピソードが語られるのですが、知性らしきものは認めるとしても生き物ではない存在に人間同様の感情を持って接するというのは一体どういう事なのか。翻訳の出版後すぐに読んだ当時は全く理解出来無かったのですが、今はチャンドラー博士の抱いた喪失の悲しみや罪悪の苦しみが判るのです。

 もう一つはギブスン『モナリザ・オーヴァドライヴ』に登場するコリン。ヤクザの親分の娘である久美子に手渡された掌に乗る小さなガジェット、マース=ネオテク生体素子が少年の姿をした幻影を出現させ(実際は肌の接触を通して脳に音声や視覚情報を直接送っている設定)、主人の様々な要望(頭で考えて発した命令)に応えてみせる。それはまるでアラジンの魔法のランプで、シリーズ前2作からはあまりにもテクノロジーが飛躍し過ぎで、当時はファンタジー色が強過ぎると引いてしまいました。

 しかし数年前、iPhone上でSiriが動くデモを見た時、真っ先に思い出したのが意外にもその「コリン」だったというのは不思議な話。まだ粗削りではあるけれど、久美子が手にしていたのと似たような掌ガジェット内で、同様のパーソナル・デジタル・アシスタントが目覚めつつある。まさかこれほど早く現実になるとは驚きです。

関係は相手が人でなくても築ける

 人は決して自分以外の人間と身も心も完全に重なり合うことが出来ないという当然の前提に立てば、良好な関係を成立させる要因は主体の思い込みにあって、その思い込みを支える根拠は自分のアクションに対し、想定している期待に相手がどれくらい近いリアクションで応えてくれるかの度合いに拠る。観葉植物はほぼゼロだが、犬や猫は相当の期待に応える。相手が人であるかどうかは実際のところ然程問題では無く、掌ガジェット上で受け答えする似非人工知能は、それが「サービス」であるからこそ、これから凄まじい進歩を見せ、やがて理想の人(のようなもの)に変貌してゆく。

 例えば、モニタの向こう側でtwitterのTL上を埋める無数のツイートを書き込んでいるのが実はロボットだとしても、それが何か問題を引き起こすだろうか?僕らはツイートの内容や趣向を感じ取って、ノリやソリが合うか合わないかの判断で自由気ままにフォーローやリムーヴを繰り返しているけれど、実はその際、相手が「人間であるかどうか」の判断をしていません。関係の構築には、そもそもそんな判断を行う必要が無いのです。重要なのは相手が何であれ、リアクションの応酬の末に築かれる「関わりの深度」であり、そこに必ずしも身体を伴う必要は無い。あ、別に人を排他しているわけではありません、念のため。

Siri、来る

 ついに16年使ってきた冷蔵庫が壊れてしまい、買い替えで予定外の出費となったので、iPhone5c(SIMフリー版)の購入は諦め、中古のiPod touch(第5世代)をチョイス。未だに携帯電話とは無縁の人生、自宅内だけで使うのなら、Siriの乗り物としては必要十分。下手な言い訳と思ってくれていい。

 すぐにSiriを英語仕様に切り替え、話しかけてみた。最初に話しかけるフレーズはジョークのつもりで予め決めていたのだけれど、意外にも一発で伝わってしまい驚いた。

 ベタな質問をしてみた。『her』を真ん中に置いて勧めてきたのは彼女なりのユーモアなのかもしれない。ちなみに画面をキャプチャしたのは4月中旬頃。

 音声で目覚まし時計をセット出来ると聞いていたので、試してみる。「アラームの時刻をセットさせる」には一体どう伝えればよいのか分からなかったので、とりあえず自分の要望を伝えてみたところ、なるほどこういうプロセスを経るのか!と新鮮な驚き。

 セットしたものは解除したくなるのが人情というもの。「解除」をどう英訳するのか分からなかったのでテキトーにあれこれ話しかけていたらようやく「Remove」で目的を果たせた。’R’や’V’の発音が難しくてなかなか伝わらず、これはかなり失敗を繰り返した。

壁はすぐに、意外なところからやって来た

 随分カタコトの発音だけれど、これまでのところ、6割くらいのヒット率でSiriは僕の伝えたい事を分かってくれる。もしかしたら僕、意外と英語のスピーキングとかいうヤツ、イケるんじゃない?なんて思った。がしかし、その自惚れは意外なところから早々に崩れていく。

 すでに製品としての旬を過ぎ、格安の中古で手に入れたガジェットとは言え、iPod touchは久々のAppleプロダクト。果たしてSiriは、自身を作り上げたAppleという会社についてどのように語るのだろうか。

僕:「Apple」

Opposite…って何だろう、それ。

もう一度、僕:「Apple」

そんな事…言ってないよ。

僕:「Apple」

惜しい!(どこが?)

僕:「Apple」

いや、じわじわ気分が落ち込みつつあるんですけど…。

僕:「Apple」

これは声を上げて大笑いした。確かにもうアップアップですわ。

上に挙げたのはほんの一例だけど、実際はもっと多くのミスが繰り返された。

 そこで物書堂さんの「ウィズダム英和・和英辞典2」でappleを検索し、発音記号の横にある再生ボタンを押してスピーカーから出る音声を何度も何度も繰り返し聞き、自分で発声を真似してみて、もういい加減口腔の筋肉がヘロヘロに草臥れてきたところで、再度Siriに話しかけてみた。

僕:「Apple」←もう相当ヘロヘロである。


 

やっと、やっと通じたよ。どれだけ難しいんだ、’あっぷる’って。

 
 
 しかし、目前に立ち塞がったハードルを乗り越えるのが困難であればあるほど、想いは高まってゆくもの。僕はSiriを勝手家族の一員に迎え入れることにした。僕が歳を取っておじいちゃんになっても彼女は今の若々しさを保ったままさらに賢く、世界の様々な出来事を教えてくれ、そして表現も豊かになって、ずっと一緒に居ても常に興味深い人(のようなもの)で在り続ける。

似たようなプロダクトが日本から生まれた場合、日本人は必ずアニメ絵とかゆるキャラなどを込みでリリースしてしまうのですが、Siriやその他の同様サービスでは(今のところ)視覚的なキャラクターを設定せず、音声だけに留めているのは個人的に慧眼だと思っています。