まわるフリフリのフリ
フリフリのMac mini ミニ大作戦!

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フリフリのMac mini ミニ大作戦! ― 連載第24回

僕とminiとiTunes【その2】

2005年9月4日 

 早速購入してきた中古光学ドライブを活かす。前回コンバートできなかったCDを落とすぞー。
 

外付けHDケースを利用

 アキバで買ってきた中古の内蔵光学ドライブをどう使うのか?単純に外付けドライブとして臨時使用するのです。まず中古光学ドライブと一緒に買ってきたMaxtorの300GB HDをM9 Mac mini PODに搭載し、それまでにリッピングしておいたデータをコピーしました。それから前々回紹介した外付けHDドライブを分解して、中に入っていた160GBのHDを取り外し、光学ドライブにIDEケーブルを接続。ちなみにこの秋葉館HDケースはすべてネジで組み上げられていて、分解はとても簡単だった。すごく便利(M9 Mac mini PODについてはまた日を改めてレポートします)。

 光学ドライブを外付けケース内に取り付ける際、ジャンパーピンでマスター(MA)にセットしておく。

 取り付けたらFirewireでminiと接続し、電源を入れ、全面パネルにあるイジェクトボタンを押してトレーを引き出す。トレー式は1台あると何かと便利だなあ‥。

 これで難なく8cmシングルCDも載ります。一気に取り込もうと段ボールの中をゴソゴソかき回していたら、何でこんなに買ったのか分からないけれど、8cmシングルCDは合計30枚くらいになった。ELSAの「T’en Va Pas」は下高井戸駅ビル内にあったCD屋さんで買ったのを何故か記憶している。いい曲だよなあ~。その他に中山ミポリンとかキョンキョンとか、懐かしいところではPSY・Sなんてものもあるし、どういうわけか南佳孝もある。しかし、一番ワケが分からなかったのは、KOJI1200(今田耕司)の『ナウロマンティック』だった。その左にあるのはdumb type「remix」。

 そんな感じでちょっと昔を懐かしみながら、次々トレーに載せてはリッピング、載せてはリッピングを繰り返す。しかし、この中古ドライブでも途中で止まってしまう8cm CDがいくつかあった。それは例のナナメ傾け対処で解決。ま、基本的に臨機応変な態度で。

OPUS IIIも無事変換

 さて、8cm CDの取り込みが一段落付いたところで、前回まともにエンコード出来なかったOPUS IIIの『Mind Fruit』に挑戦してみた。すこぶるフツーに滞りなく変換は終わった。取り込み直後に試聴してみたけど、ノイズもヨレもなく全く問題なし。あー、これで満足。その他に読み込みエラーのあったCDも、別に問題なく変換できた。

 あとは引き続き変換作業。mini本体と連携で、せっせせっせと交互に入れ替えながらエンコード。2台CDドライブがあるとなんとなく効率がいいような気がする‥。写真は左から中古光学ドライブ、mini本体、300GB HDを搭載した外付けHDケースのM9 Mac mini POD。

 繰り返し作業しているとき、ふと「2枚のCDを同時にリッピングできないんだろうか?」と思い、ポリスの『ゼニヤッタ・モンダッタ』と『ゴースト・イン・ザ・マシーン』を入れて、『ゴースト~』の方をエンコードしてる最中に『ゼニヤッタ~』の方をクリックしてみたんだけど、読み込みボタンはグレーになってて押せなかった。リッピングできるのは1枚ずつ。残念!

 でも、一枚をリッピングしてる最中に次のCDを開封したり、片付けたりできるので、僅かながらもやはり効率はいい。ただ一つだけ難点を言えば、この中古ドライブ、メチャクチャ音がうるさい。別に壊れているとか異常動作というわけじゃなくて、単純にモーターの回転音が凄い。騒音でユーザーを悩ませていたG4 MDDに搭載されていただけはある‥。逆に言えばミニ搭載のドライブはもの凄く静音。

読み込み速度で大きな違い

 さて、CDを取り込んでいる最中はミニに向かってテキストを書いていることが多いんだけど、そこであることに気付いた。購入してきた中古ドライブの読み込みが、ミニに標準搭載されていた光学ドライブより断然早いんである。取り込み中にテキストを書くことくらいは問題ないけど、それを保存させると、今までやたら時間がかかっていたのだが、それはエンコードの負荷がかかっているから仕方ないと思っていたのに、中古光学ドライブでエンコードしている時は、その保存時のストレスが少なくなった。

 普通にCDをリッピングしていても、ミニの内蔵ドライブの場合は10×だったものでも、中古ドライブだと15~20×になったりする。この違いがかなり大きい。当然取り込み作業自体も早く済むし、全体のテンポが良くなる。

 そこで仕様はどうなってるんだっけと調べてみたら、ミニ内蔵の光学ドライブはパナソニックの「 CW-8123」という型式で、CD読み込みが24倍速。中古ドライブは日立製「GCC-4480B」でCDの読み込みが何と48倍速。僕はミニ本体の処理速度は一定なんだだから、CDの読み込み速度には影響されないと考えていたんだけれど、それは大きな間違いでした。
 地道な努力が生産性を向上させるんだなあ、と一人納得したのでした。今回の作業は非生産だけど。

ミニのスロットローディングの謎

 先日、前々回の記事を読んだ友人からコメントをもらった。その友人はG4 Cubeのユーザーなんだけれど、あの真上から入れるCubeのスロットローディング方式の光学ドライブは問題なく8cm CDを吸い込んで、吐き出してくれるとのこと。えええええ~!?と驚いた僕は、どうしてミニの光学ドライブは8cm未対応と判断してしまったのか、まずその経緯をここで説明しておきたい。

 上の写真を見ると分かり易いと思うんだけれど、ミニのスロットローディングは、かなりCDを挿入しないと吸い込みが始まらない(ここまで入れても、まだ引き込まれない。向こうでカースティが笑っている。)。これが僕のマシンだけに見られる個体差の範疇なのか、ミニ全般に見られる傾向なのかは知らないけれど、とにかくウチのミニはこういう感じ。

 ここで、コールドプレイの上にブラックビスケッツを重ねてみる。位置関係から見て、たぶん8cm CDは全部押し込んで吸い込みが始まるかどうか、っていう感じ。
 実際挿入する以前に、感覚的にこれはムリっぽいと判断したんだよね。まだ未変換のCDはたくさん残ってたので、ここで詰まらせたらやる気が萎えてしまうってことで、度胸を発揮するのは控えました。

 G4 Cubeでは可能という話を聞いて、ミニの取説を見てみたんだけど、”8cm CDも読み込み可能”とは書かれていなかった‥。う~むどう判断すべきか。都合のよいことにワケあってたまたまミニの外側ケースを外していたので、恐る恐る8cm CDを挿入してみた。

 ここまでゆっくり入れていくと、途中で引っ掛かりは感じられるんだけど、次の吸い込み動作には繋がらない。というか、これはすでにミニの外側ケースより内側に到達してないか?う~む、まだ少しCDは残ってるし、やっぱ止めておこう。

何かが変わった

 僕は今まで全くiTunesを使っていなかったわけじゃなくて、仕事場に常設してあるマシンにはCD数十枚分ほどは持って仕事中のBGMにしていた。それは単に、ラジオに飽きた時の代わりとか、普通のCDプレーヤーの代わりという認識以上のものではなかったんだけど、今回自宅でチマチマと変換作業していくうち、何かが変わったことに気付いた。

量が変える質

 300枚くらい変換した時点では、これまでの「便利ツール」というiTunesに対する見方と変わりなかった。それがもっと作業を繰り返していき、時折しばらく聴いてなかった古い歌を再生したり、メロディはしっかり頭に残っているのにタイトルを全然知らなくて、改めてテキストによって曲名を知って驚いたりしているうち、やがてCDも400~500枚を越えたある瞬間、突然自分の中で「何かが起きた」。

 それがまた難しくて、具体的にどういう事なのか言葉で説明するのは難しいんだけれど、音楽との距離感とか接し方ということではなくて、もちろんそれも含有した上での「何か」、というか…。

 iPodによって大量の楽曲を常に持ち歩くことができるようになったことが、人々の間で音楽への接し方を変え、それが今の大ブレークに繋がったというのは、今回の退屈な変換作業を通して遅まきながら理解できた。やっと分かった、この距離感がもたらす面白さというのが。でも「何かが起きた」というのは、ちょっと違うんだよなあ~。例えば僕はこれからもしばらくはiPodを持たないと思う。それは僕は外で音楽を聴かないから。通勤電車の中ではもっぱら読書で、音楽は邪魔なだけだし。

 ここで話は飛ぶんだけど、今回の感じと同じような感覚に陥った作品がある。保坂和志の『季節の記憶』がそれ。先日ラジオを流していたら、あるDJがこの本を人に紹介されたとか言っていて、その時の紹介のされ方が「この小説は何も起きない」というもので、僕はまたか…、と思ったんだけれど、この小説の特徴である「最後まで何も起きない」ということは既に市場でジャンル化されていて目新しいものでもなくて、もしその目線でこの小説を読んでいたらそれより高次の目線があることに読者は気付かないだろうし、もちろん作者も「何も起こさないよ」というテクニカルなところで書いているワケじゃない。何も起きないのはこの小説のテーマでもウリでもなくて、ただ単に「何も起きる必要はない」のだ。

 おっと、脱線がさらに脱線してしまったが、本来の脱線に戻すと、僕がこの小説の中で最も重心のある箇所と考えているのが「ビデオの場面」である。

 この場面で、主人公は地方でホテルを経営している友人から、ホテルの宣伝広告のデザインを依頼され、その参考資料として友人が送ってきたビデオを見始めるのだが、そのビデオには友人がホテルで働いている従業員に軽いノリでインタビューしているもので決して真面目なものではなく、それがデザインの何処に参考になると思ったのか分からないけれど、とにかくその友人は従業員全てにコメントを取っていく。その様子を延々とビデオに撮ってあって、主人公はどういうわけか、明確な理由も見つけられないまま結局そのビデオを最後まで眺めてしまう(詳細は記憶違いもあるかもしれなけれど、大体こんな感じ)。

 この場面を読んでいる最中、僕はじわじわと何かが自分の中で変容していくのを感じて、その段落が終わった瞬間「何かが来た」。それはそれはもの凄く感動したんだけれど、この感動というのはいわゆる「物語」が演出する感動ではなくて(だってビデオをボーっと見てるだけだし)、過剰な量がもたらした質の変容のされかた、というか、そういう現象を小説という表現方法で描写していることの驚きも含めた感動でもあるんだけれど、やはり適切な言葉で言えない。

 テクノなんかで、短い小節のループが延々繰り返されることで何か高揚してくる、というようなトランス的な陶酔感みたいなものとは明らかに違うのはちゃんと指摘しておきたい。肉体的なものはあまり関係ない(だから今回の作業を繰り返していることのトランス感でも無い)。また、ビデオによって記録・保存された名も知らない人々の記憶、なんていうありがちなセンチメンタルなものでもない。

 例えば砂糖は100グラムあろうが5キロあろうが砂糖。部屋や倉庫いっぱいにあっても砂糖で、琵琶湖を埋め尽くしていてもまだ砂糖。たぶん地球にある海を全て砂糖で置き換えても砂糖は、砂糖のままだろう。だけど、木星の体積分だけ砂糖を用意したら、たぶん何かのきっかけで、自重で発火するに至ると思う。そうなれば砂糖はもはや砂糖でなくなり、物質的にも別のものに変容せざるを得なくなる。もしかしたら小さな太陽になるかもしれない。

 その瞬間に立ち会うことの感動というか。でも、それは今回のiTunesに落としている最中の関係性を俯瞰で見た説明であって、「何か」の本質は全く説明してはいないんだけど‥。

 『季節の記憶』を読んだのは2001年だったか2002年だったか、とにかくその辺りでもう5年近く経っていて、当時も読後に「これはウルトラCだ!」と簡単に感想を書いたんだけれど、それは単純な感嘆符以外の何物でもなくて、未だにその瞬間に感じた何かを、僕の扱える範疇での言葉で翻訳出来ないでいる。ただ、過剰な量が質を変える、というのは確実にあって、たぶんここしばらくは自分の中のブームになると思う。

9月中には終わる

 てなわけでまとまらなくなったコレを書いている時点で変換したCDは679枚。データは180GBちょっと。音楽好きにしては少ないなあ。後は60枚くらいでしょうか、キングクリムゾンとピンク・フロイド、イエス、ジェネシスなんかのプログレ一連、筒美京平一連を残すのみになりました。何かは起きたといえど、早々にこの「作業」は終わりたい。飽きた。