連載第13回
2007年9月29日
爆発です。

 一言でCGと言っても様々な表現方法がありますが、トゥーン・シェーダーを駆使した日本の長編アニメーションということでまず想起されるのは、’04年公開の『APPLESEED』でしょうか。トゥーン・シェーダー(またはセル・シェーダー)と呼ばれる、3Dでモデリングされた立体を従来のアニメのようなセル画のテイストでレンダリングする技術を駆使した長編作品でした。しかし長年セル・アニメを観て育ったせいか、同技術は立体モデルとの親和性にまだ違和感があり、セルと同じテイストの画がリアルな遠近法則に従って滑らかに動くことに新鮮な衝撃を受けながらも、その世界観へスムーズに没入するにはまだ若干の躊躇いがあったのは確か。おそらくその原因は人物以外の、兵器や建造物といった物がその表面に付加されている汚れや影のグラデーションを伴ったまま立体的に動作していることによる世界観のアンバランスさにあったのではないか、キャラクターだけが奥行きのある空間の中で妙に浮いてしまい、統一感に欠けていたのです。
 基本的に同じ手法で製作された本作を鑑賞するにあたり、関心があったのはその技術的進歩の度合いだったのですが、予想していたよりその表現方法はかなり練り込まれていて感心させられました。通常のセル・アニメでは人の顔面を描写する際、光の当たっている部分と影の部分で2色を割り当てます(多くても3色なのですが、雰囲気がシリアスになる傾向がある)。その手法をそのまま3DCGに持ち込んだ場合、先に書いた通りの違和感が生じるのですが、本作で編み出された手法は明暗の2色に加え、デフォルメされたキャラクター・モデル上に滑らかなグラデーションを付加することによって、CG素材が本来持つ立体感、および周囲の世界との間に、リアルとも虚構とも言えない絶妙かつ不思議なバランスを保つことに成功しています。

 さて、そういった静止画的な関心とは別に、これが近未来SFアクションというカテゴリに属しているのなら、当然そのバトル描写に注目せずにはいられません。次は「動き」です。近年のハリウッド製CGアニメが、リアルなモーション・キャプチャーによる作品より、アニメーターによる手付けアニメーションの方が多いのに対し、和製の長編CGアニメが積極的にモーション・キャプチャーを採用しているのは、2Dと組み合わせた独特な表現を目指すという目的以外に、製作スタッフの人手不足を補うためという現実的な状況があるようです。かつては技術的に問題のあったモーション・キャプチャーも、今は精度も向上し限られた予算内で生産性を飛躍的に高めることに貢献しています。なにせ本作でのCG製作スタッフはわずか40人!従来のセル・アニメ製作では考えられない人数です。効率的にコンピューター内に「回収」されている動きは、しかしながら、アニメの世界観におけるキャラクターとの親和性において、海外のそれより日本の作風には非常にマッチングが良いように思え、本作での日本人による人間のデフォルメ・デザインは、特に目新しさの無い伝統的なものでありながら既に、リアルな動きに最適化されているのです。これは幸運だったと言えます。

 しかしながら、各面で確実な進歩が見られる描写の中にも、何故ここにかつての和製アニメーションで得られていた「高揚感」が希薄なのか?
 まず経済的かつ効率的なモーション・キャプチャーとの折り合いをつけるためでもあるのか、和製アニメと言うには抑制されたカメラワークが挙げられます。役者が現実的な動き(演技)を行っている以上、カメラはそれに従属することになる(それは意図するところかもしれません)。従来のセルアニメに見られる「あり得ない」動きをフォローする、また「あり得ない」カメラの動きが、ここではほとんど存在しないのです。あえて言えば後半における大和重鋼人工島へのジャグに追われつつの侵入は、作中最も大きな見せ場であるにもかかわらず演出的には昔から使い古されたもの、たとえば黎明期に多くのCGオタクを驚嘆させた、青山敏之と北田清延の二人による自主製作CG短編ムービー『PROJECT-WIVERN』が、10年も前に個人で購入できる価格のマシンとアプリケーションを使って製作されているにもかかわらず、そこからまるで変わらない発想のままでいることが逆に大きく驚かせるのです。まず「言語化」されなければ映像化は無いと考えれば、新しい映像技術が生まれてもそれが表現に与える影響はごく僅かだとも。かつての栄華は消え去ったものの、SF文学は地道ながら確実に新しい領域を開拓していて、そこには斬新なビジョンを発見することが出来ます。新しい映像表現は、そのエッジから発生するに違いありません。世界を驚かせるにはまず、SF文学の先端を探ることから始める必要があるのではないでしょうか。

 さて、長くなりましたが以上は前置き。個人的にはこれが本題なのですが、トゥーン・シェーダーを用いた長編アニメーションで未だ僕を満足させてくれない重要な要素があります。バトル・アクションに必要不可欠なもの、それは「爆発」です。

 銃口から発射された弾丸が物体に命中する、魅惑的な軌跡を描きながらミサイルが飛翔し目標に命中する。そしてそれらは必然として爆発するのですが、優れた2Dセルアニメにおけるバトル・シーンにおいて人や兵器をさし置き、爆発ほど「演技」しているものはありません。一瞬にして膨張する炎、火花や破片の飛び散るベクトル、拡散する煙、それらは全て観ている者が知らぬうちに興奮し圧倒されるべく造形・動作共に明確な意図の元、緻密にデザインされています。つまり爆発は単なる経緯ではなく、それ自体が「画」になるのです。本作に限らずCGで作られた爆発は、たしかに物理的所作は現実的ではあるかもしれないけれど、今のところ人を興奮させるような魅力を持つにはほど遠い表現に留まっている。残念ながらそれは、冒頭導入部で早くも明らかにされてしまうのです。キャラクターの造形でリアルとデフォルメの間に絶妙な着地点を見出した今、個人的嗜好ではあるけれど、次の課題は爆発の表現であると。もしそれが困難ならば、簡単な話、物語のジャンルをハードSFアクションとは別のところにシフトさせるしかないのではないか、とも思ったりします。

ひと言メモ

監督:曽利文彦(2007年/日本/109分)ー鑑賞日:2007/09/01ー

■文中に挙げた『PROJECT-WIVERN』はLightwave3Dでの製作です。懐かしいですね。
■そんなこんなで『APPLESEED』の続編、『エクスマキナ』はやはり観てみようかなと思います。若干義務的ですが。10月20日公開。
■でもやはり本作のシェーダーは良いです。プラグインとして主要アプリケーション向けに販売したら、日本のみならず海外でもヒットするかもしれません。
■かつて「宇宙戦艦ヤマト」で、宇宙での爆発をもっともらしく描くにはどうしたらいいのか?というところが、制作スタッフをかなり悩ませたそうです。セル・アニメにおける爆発の表現は長年に渡って練り込まれ、観客を満足させるよう熟成されてきたのでしょう。それが実際にはあり得ない描写だとしても。
■いろいろ書いていて思ったのですが、キャラをセル画調に見せるのなら、どうして爆発をセル画調に見せない理由がありましょうか?もしかして、そもそもリアルな爆発の捉え方が間違っている可能性があるのではないか?