連載第53回
2010年1月1日
そして立体を目指す

 未だ多くの人がこの作品の中でCGによって描かれている世界観に然程違和感を覚えず、むしろ今この時代にあって新鮮ささえ感じるとコメントしているのは、それほど不思議な事でもありません。現代の映像技術レベルからすれば貧しいとさえ言えるポリゴン数、ただプリミティブな立体を組み合わせて作られている、まるで積み木遊びで出来たような機械や風景、それらがスクリーンの中で当たり前のように存在していられるのは、それがまさに異質であるからです。

 異質であることを素直に受け止めさることを助けているのは、そのストーリー構成に拠るところもあるでしょう。本作はいわば「行って帰ってくる」タイプのありふれた物語構造を取っているのですが、しかしコンピューター内部の世界だけで物語が完結しているわけではなく、その世界を挟むようにして配置された出発点と回帰点が、この現実世界に置かれていることが奏功しています(しかし現実とは言え、ドラマ部分にまるでリアリティが感じられないのはご愛嬌)。82年と言えばまだ初代Macintoshが登場する2年前。当時の人々の間では、もしコンピューターの内部に別の世界が存在するとしたら、これくらいのプリミティブな程度のもので何ら問題ないという認識があったでしょうから、この際立って異質な世界は、当時を知る僕等に「低級な機械の中なのだからむしろ妥当だろう」という了解のもと、今なお無理なく承認され得るのです。

 ここ5年くらいの間に十分な予算を掛けて製作されたCG技術による映像は、全く違和感を覚えないほどリアルに描写されています。冒頭に書いた「違和感を覚えない」という文句をここでまた繰り返しているということは、『トロン』が公開された当時から今に至るまでの間、その映像に「違和感を覚える」期間が確かにあったということなのですが、その問題が生じたのは、CGで描こうとする対象が現実世界に存在するものへ移行しはじめた事に起因します。現実世界にいる人間が、異質を手で触れられるような、そこ在る物として扱おうとする。その途端、CG映像に要求されるクオリティはコンピューターの演算処理にして数千倍以上にも膨れ上がり、それに応えられる技術水準(ノウハウも含む)に達するまで、実はかなりの年月を必要としたのです。

 そしてもはや、異質を、それを取り巻く世界も含めそのまま異質な物として描く事が許された時代へはもう戻れないのでしょう。同様にコンピューターの内部を描いている『マトリックス』シリーズの完結編終盤に見たあの強烈な「違和感」は(たとえそれが『トロン』終盤に登場するMCPへのオマージュだとしても)、いくらバーチャルな世界と言えど、それは今の自分達が体験上許容できるものから大きく逸脱してはならない、という要求に応えることが如何に高くつくかを知らしめます。今や人々は、高性能化したコンピューターの内部にある架空世界が、テクスチャ・マッピングも施されていない、単純なプリミティブ・モデルだけで構成されているとは考えないのです。そうした状況の中で、今年の12月には続編『TRON LEGACY』 いわゆる「2.0」が控えている。28年を経た当然の帰着として、その新作にはようやく文字通りの「立体」処理が施されるのですが、昨今流行の兆しを見せている「立体」映像がもし、より現実感を呼び起こすために用いられているとするなら、かつて異質を異質なまま提示していたことで成立していた世界観がここで崩壊する可能性もまた、在り得るのです。

ひと言メモ

監督:スティーヴン・リズバーガー(1982年/アメリカ/96分)ー鑑賞日:1982/09/某日ー

■この映画は公開当時、中学生の時にリアルタイムで劇場で鑑賞しました。その頃から3DCGにすごく興味があったからなんだけれど、当時周囲に「これCG映画なんだよ、面白そうだよ!」って吹聴しても誰も同調する者は無く、寂しく一人で電車乗り継ぎ、映画館のある街まで出向いたのが、今となっては良い思い出です。
■新作のトレーラーはこちら。
http://www.apple.com/trailers/disney/tronlegacy/