連載第37回
2013年7月1日
アントニオ・ロペス展・覚書

 ちょうど1ヶ月前になりますが、渋谷Bunkamuraミュージアムで開催されていたアントニオ・ロペス展へ行ってきました。とは言ってもワタクシ、このスペイン人アーティストのことを知ったのはごく最近というか、展覧会の宣伝ポスター等(『マリアの肖像』が印象的でした)を朝の通勤電車の車窓から見かけ「はて?誰かいな?」と思ったりしたものの、特に気に留め置くこともなく、しかしそうこうしているうちラジオの情報番組で紹介されているのをたまたま聴き、そこで発せられた『マルメロの陽光』というフレーズを耳にしてようやく頭の中で「あ、あの人か!」と繋がったという俄(にわか)っぷりです。さらに付け加えるなら、その『マルメロの陽光』すら未見というヘタレっぷりなのですが、では、映画未見なのにどうして繋がったのかと言うと、所有しているビクトル・エリセのDVD-BOXに同封の解説本に収録されている井口奈己(映画監督)と野谷文昭(ラテンアメリカ文学研究者)の対談の中で、やたら『マルメロの陽光』を褒めていた、特に「時間と空間」の描き方について言及されていたのが記憶に残っていたからです。何を今さら、時間と空間を描くなんて映画成立の根本なのだから当然ではないかという指摘はご尤もなのだけれど、とりわけ「時間」について僕はここ数年非常に意識的になっているところがあって、では映画の中で主人公になっているアントニオ・ロペスは時間とどう対峙しているのか?という点に強く興味を持ちました。
 しかし残念ながらその映画『マルメロの陽光』のDVDは現在廃盤で手に入れることが出来ません。フィルムの中にどのようにして時間を描いているのかは分からないまま「んじゃあとりあえず展覧会」というノリで出向いたというのが今回の経緯。

 リアリズムというだけあって作品によっては非常に緻密に描き込まれているものもあり「それなら写真でパシャリ!と撮影してしまえば良いのではないか?」と思ったりもしたのですが、一枚の絵を描くのに10数年というスパンで取り組んだり(別に超巨大というワケではない)、ある特定の時間帯だけ作業に勤しんだり、そうこうしているうちにアングルを変更しようとして描き直し始めたものの、そのまま途中で放置された状態の作品もあったりで、つまりこのロペスという人、作品を「完成させることに頓着してない」感じがある。というのも、当然ながら僕は展示されている作品をゆっくり、じっくり眺めてみたのだけれど、正直に書いてしまうけれど「全く感動しなかった」のです。以前の船田玉樹展の時には感じられた作品そのものから受ける強い何かが、今回は非常に希薄でした。

 もしかしたらアントニオ・ロペス自身、自分が描いている画や彫刻、またそのモチーフになっている人物・物・街並みなどとは違う別のものを見ていたのではないか、とか思ったりしたワケです。作品を制作しつつも、他のことをぼんやり考えてたというか。まあ、本人自身が作品について語っているという『アントニオ・ロペス 創造の軌跡』や、展覧会で購入した図録のテキスト部分はまだ未読なので迂闊なことは言えないのですが、しかし目の前で完成されつつある作品の外側で同時に生成されているもの(=時間)に注目してみる、というテーマは実は僕自身が今現在囚われている最中だったりします。この件、持ち帰りです。

というわけで『マルメロの陽光』ですが、どうせならBlu-rayで再発をお願いします。買いますよ。