連載第45回
2013年8月26日
培養肉の話

 先日、ニュースで取り上げられていた「幹細胞から培養された牛肉のハンバーガー」の事はご存知でしょうか。オランダの研究所が試験官の中で愛情豊かに育て上げた(?)というこのビーフ・パティ。その公開試食会の様子を動画で見たのですが、これがまたハラハラドキドキさせられました。幹細胞を培養して肉のようなものを生成する。そんなアイデアは別に山中教授がノーベル賞を受賞してから始まったわけでもなく、発想としては昔から使い古されたものではあるのですが、いざ本番となると「ホントにソレ、そんな物を食べていいの?あ、口を開けた…あー、口腔に放り込んだ!うわっ噛んで食べてる!」という手に汗握る衝撃映像でした(かなり誇張しています)。

 おそらく自分が生きているうちにも深刻な状況になるのではないかと危惧される食糧問題。今のところ培養牛肉のお値段はその製作費用がべらぼうに高すぎて、うっかり庶民の口に入ってしまう心配などする必要は全く無いのですが、しかし地球の都合(養殖の限界)と人間の欲の都合(飢えるなんて我慢ならん)がみっちりと絡み合って、意外にその問題はストンと合理的解決を見るような気もします。SF好きな僕個人の憶測では、今後意外なほどの短期間で培養肉生成技術が向上し、総合的には今よりもリーズナブルな経費で大量生産可能に。結果として培養肉は我々一般庶民向け食料となるのではないでしょうか。食感もいまひとつだし、また味気ないものであっても、安価であれば納得してしまう低所得者層には相応です。対して一握りの富裕層はこれまで通り一流の酪農家が手をかけ時間をかけて育て上げた非常に高価な家畜の血の滴る肉を頬張るのです。ただ塩をふるだけで十分に美味、という高級なヤツです。食べたことないけど。

 しかし実際は食料は十分に足りているハズである、という反論もあるのですが、その真偽よりも現実として配分方法に問題があるのは明らか。現に一部地域だけに供給が偏っているのは確かなのですが、倫理的に正しく平等に不足しないよう配分しようとすればたちまち畜産や捕獲といった自然に生成する肉の分量では足りなくなるのではないでしょうか。養殖がうまく回っていない種に関しては、確実にじわじわと総量が減少しているようだし、食欲旺盛な人々の方はどんどん加速を増して増加しているのですから。だからこそ、の培養肉なのかもしれない。
 一体普段口にしている食料にしても、それが真っ当な手続きを経て店頭に並んだものなのかどうか、我々には全く分からないし、正直なところ本心では「分かりたくもない」のではないか。昨今流行している食料を扱う店舗における若者の悪戯なんかを見ても、外食・加工産業の裏側なんて所詮そんなものですよ、と分かっている人間なら別に今更目くじら立てて大騒ぎすることでもありません。それらはただ、少しだけ緩んだネジの隙間から、現実が漏れ出しているだけなのですから。もし本気で真っ当な食生活を送りたいのなら、直接生産現地から食材を調達して自分で調理するのがベスト。途中の工程を一部でも他者まかせにしたのなら、何か事故が起きた後で責任を追及しても残念ながら手遅れなのです。たとえその権利があるとしても。

 だからこそ、の培養肉なのかもしれない。つまり、リスクの程度は然程変わらないという意味で。

 どちらにせよ、僕のような末端の人間にはいずれ「昆虫か培養か」の選択を迫られる時が来るのでしょう。個人的には以前の映画感想文にも書いたように、今後は「生命を経由しない食料」という選択肢が追加されてもおかしくはないと考えています。他方、昆虫食に関してはその啓蒙活動の先頭グループを走っている、ほそいあやさんのレポート(注:虫の画像満載です)などを面白可笑しく読んでいると、不思議と短期間のうちに違和感・嫌悪感を覚えなくなります。もし蝉を美味と感じられるのであれば、毎年暑い夏が訪れるのを心待ちにするようになるのかもしれません。

外部サイト参考記事
国連機関が昆虫食のススメ、「栄養があって美味」(CNN.co.jp)注:虫の画像が出ます。