連載第108回
2022年8月16日
長い文章が読まれなくなりオワコンとなったブログだけど、自分のための備忘録としてはとても有用なのでその方向へチェンジ

先日、TL上で「コンテンツとしてのブログはもう終わった」という旨のツイートとその根拠を示したグラフをチラっと見かけて、ああ、なるほどと思った。今や人々はブログ記事などにアクセスしていない。確かに当ブログでも読者は3人くらいだし、検索を通した古い過去記事への通りすがりさんのアクセスも1日に一人か二人と激減した。このブログも最早、たまに生じる空気の揺れにつられ、主体性なくそよぐ雑草の葉っぱみたいな感じだ。

コロナ禍が始まる少し前だったか、数多くのアフェリエイト目的の情報サイト系が一斉にブログのテーマを変更した時期があった。どのサイトも没個性的で同質な外観になった。何が起きているのか分からなかったが、あれは「このところ収益が激減したのでカンフル的に見た目を変えた」のだろうと思う。今時、ブログの外観デザインを変更したところで、迷惑な広告へのリンクなどをクリックする読者などいるはずもないし、ましてや訪問者数が増加するわけでもなかろうに、ご苦労なことだと思った。このサイトでもamazonへのリンクを貼ってはいるが、ほぼ購入記録の意味合いしかない。

自分でも心当たりはあって、ここ数年は日常的に一まとまりの文章を載せたサイトを巡回することは全く無くなった。大昔はApple関連の噂サイトや、個人の映画評サイトを定点観測していたりしていたが、前者はどこにメインの文章があるのか視認できないくらいのスーパーのチラシと化し、後者は入会手続きが必要な大手プラットフォームへ移住し居なくなってしまった。

個人的理由を列挙してみると

世間一般の傾向に当てはめることは出来ないが、自分が定期的に各サイトを訪問しなくなった理由を挙げると次のようになる。

  1. 広告だらけの画面が鬱陶しい
  2. 今この時代にこんなことを書くことが間抜けな気もするが、広告に注がれる多大なエネルギーが本当に勿体無い。内容の文章の薄さとウィンドウを埋め尽くす広告の強烈な自己主張が反比例しているサイトが大半となった。たまに、病院の待合室で点けっ放しにされているTV画面をみると、あまりの情報の詰め込み過多に辟易するが、ネット上も気がつけばTVや折り込み広告のチラシの紙面と同じになってしまった。記事本体の周囲を敷き詰めているだけなら本文に集中して、その周辺は無きものとしてスルーできるが、各段落ごとに広告バナーを挟み込んでいるレイアウトには反吐が出る。

  3. SNSの短文テキストに脳味噌が慣れてしまった
  4. これは深刻である。短時間で流れてゆくTwitterのフレーズに脳味噌が薬漬けになったせいで、長々としたテキストを読み進める耐性が著しく低下した。有益な内容で構成もしっかりしており、最後は思わず膝を打つような見事な展開であっても、そこにたどり着くまでの集中力が持たない。読み切ってしまう前に他のことに気が散ってしまったりする。以前どこかの記事で、スマホなどのデジタルデバイスを介してSNS中毒になった人の集中力が持続する時間はわずか数分、と書かれてあって、なるほど身に覚えがある、自分も例外ではないと思った。もちろん老いたのも主な原因であろう。

  5. ページ分割が鬱陶しい
  6. 昔からあるが、PVを稼ぐために本文を数ページに渡って分割しているサイトの記事が鬱陶しい。この実に下らない施策を見かけるたび、読もうとする気が失せてしまう。一番腹立たしいのは、分割数が「5」かと思って耐えつつ読み進んでいたら、実は「8」くらいまで後があったというヤツ。スマホ用のレイアウトなら、最後までスクロールで読ませる構成にすれば良いものを、あえて分割させないとイヤだ!という貧乏くささに辟易する。

  7. 対象への興味関心が無くなった
  8. そもそも長文云々の前に、自分の中でブームになって盛り上がり、深く知りたいと思って情報をかき集めようと思える対象が無くなった。分かりやすいところで言えばApple関連の噂系サイトには完全に興味が無くなった。今は誰かがツイートした情報で興味を持ったものだけに単発でアクセスするくらいである。巡回や定点観測する行為は無くなってしまった。

しかしブログは面白い、というより実際に役に立つ

誰かに読んでもらう事が主目的で、その為にネタを仕込んで(言い方が悪いなら「現場に出向いて、さらに詳しく資料を集め読み込んで」)記事を認めるということはもう割りに合わない。これはSNSやYouTubeでの情報発信だけに限定してブログを閉鎖する人が多く見られることからして事実である。

しかしながら、過去に書いた自分の記事に助けられたという事が実際に幾度もあった。ブログで記録を取って置くことは非常に有益である。それはTwitterをメモ代わりにすれば済むのではないかとも考えたが、自分の発言でさえ検索して見つける事が手間だったり、アイデアや発想が「まとまっていない」ことが惜しかったりする場合が多い。今朝もあるユーザーが作業工程をTwitterに流していたが、細かく分割されたそれは例えブックマークしておいたとしても、数年経つと見つけ出すことが困難になる。そんな場合はやはり1つのまとまったページにあるとリーチし易いし、他者との情報共有に役立つ。ちなみにTwitterが現在、一部ユーザーで試験しているという「Note」というミニブログ的なものが活用できそうか興味を持っているものの、いつサービス開始するか分からない。

それよりは、長年慣れ親しんできたWordPressが自分には一番使い易く、「あの時、どう対応したんだっけ?」という場合にすぐリーチできるくらいに馴染んでいる。なにせ自分で書いて記録し、後々検索で引っかけやすいようにタグ付けしたりカテゴリー分けしているのだから、覚えているキーワードですぐ検索出来るし、その言葉を忘れても「あの記事は2018年頃のこのカテゴリーに書いたはず…」と曖昧な感じで比較的スピーディーに探り出せる。

極めてプライベートで日記的なものはローカルのWordPressに記録する

一番有益なのは、ローカル上のWordPressに日記的に記録を残して置くことである。これが実に役立つ。もしかしたら日記アプリの類で使いやすいものがあるのかもしれないが、WordPressは環境に左右されにくく、データも自由に書き出し出来、バックアップもMAMPのフォルダ毎コピーしておけば良いだけなので手軽である。閲覧&編集もブラウザを使えば良いだけ。いざとなればネット上のWordPressに移動も出来る。あらゆる事柄をレイアウト無視して雑多にメモしておいても何ら問題なく、名も知らぬ誰かからクレームを受けることも無い。そして必ずいつか、身体が老いて記憶力や判断能力が著しく落ちた未来の自分を支える、1本の細い杖となる。

これでたったの2697文字。