10年後くらいに(生きていれば)ふと「あの頃何を読んでいたっけ…」と振り返ると面白いことがままあるので、備忘録程度に。昨年から年越しで読んでいた『資本論1〜5』の続きからのスタートです。
『資本論6〜9』マルクス(著)エンゲルス(編)向坂逸郎(訳)
昔から疑問に思っていた事のうちの2つ。
1. 太古の昔、人間はその日生きるために必要な食料を探し回って生活していました。それから数万年。宇宙に長期滞在も可能となり、ネットが地球を覆い世界を繋ぐようになった今…もまだ、人間は明日食べるものの為に一生懸命働いています。なんで?猿から全然進歩してないじゃん?
2. 自分ではもう十分満足しているのに、何でいつまで経っても「(人として、ではなく常に以前よりも多く利益を出すように)成長しろ」と言われないといけないの?
この2つがずっと気になっていたところ、5年前に偶然『のめりこみ音楽起業―孤高のインディペンデント企業、Pヴァイン創業者のメモワール』という本を読んで、著者のPヴァイン創業者である日暮泰文氏が「なぜ企業は成長し続けないといけないのか?」と全く同じ疑問を吐いている場面に出くわしビックリしました。社長の立場にいる人でも不思議に思ってるんだ!
そこから非常に浅くではあるものの、資本経済にちょっぴり関係していそうな本をポツポツと読み始めた…という流れからのマルクス「資本論」。
確かに超長大で超難解な本でした。しかし本書のテーマである資本形成のプロセスへの理解はもちろんなのですが、上記の2つの疑問への回答(自分なりの解釈ですが)、そして同じく昔からずっと考えている「時間」が持つ意味についての収穫も得られました(これも自分なりの解釈だけど)。学生の頃に読んでおきたかったですね。
今回読んだ岩波文庫版の『資本論』の他に、最近新訳がいろいろ出て読み易くなっているようで、これらで再読するとまた理解が深まるのかもしれません。日経BPクラシックス 資本論 経済学批判 第1巻1とか、資本論〈第1巻(上)〉 (マルクス・コレクション)とか。
『失職女子。』大和彩(著)小山健(イラスト)
資本論を読んでいる途中で気分転換も兼ねて『失職女子。 〜私がリストラされてから、生活保護を受給するまで』を割り込み読書。著者がリストラされて再就職も困難となり、最終的に生活保護というセーフティネットにかかるまで。そこに至る経緯を、実体験に基づいた文章で詳細に描いている本は意外に少なく貴重。ところで論旨とはズレるのですが、著者が一時の休息を得られたのは、給付を受けられるようになったからではなく、唯一、自分の語る事について真摯に耳を傾けてくれた福祉課の諸葛孔明子さんの存在あってこそでしょう。ただ話を聞いてくれる人が居る事の幸せ。
ところで作中に春を鬻ぐことを考え、それを止めたことに書かれている箇所で、その職業に就いている人達に世間一般からある種の誤解を招きやすいこともあるかと思ったりしたので下記リンクを参考まで。つまり、人生いろいろということ。
わたしにだって言わせない(goodnight,sweetie)
『一週間 de 資本論』的場昭弘(著)
昨年『資本論』を読み始める前に、ざっくりと世界観(概要)を見渡しておいた方がとっつき易いだろうと考えて読んだ『一週間 de 資本論』ですが、その時点では理解出来なかった箇所などが幾つかありました(しかも資本論本体はそんな前準備など一笑に付すくらいの難解さだった)。この度9ヶ月かけて『資本論』を読み終えたはいいものの、早くも朧げになりはじめている記憶を焼き付ける為に再読。これでようやく要約の1つの視点、として理解出来ました。また違った視点での解説本も読んでみたいです。
『大坊珈琲店』大坊勝次(著)
僕はもう閉店してしまった青山のそのお店に行ったことは無いのですが、大好きな珈琲繋がりということで『大坊珈琲店』を手に取りました。とあるエピソードを読みながら「これが仕事をする、という事だ」と思い、泣きました。
実はお店を開くまでの経緯、そして残念ながらお店を畳むことになった経緯にも強い関心があるのです。世間には数多くのカフェ開店関連本がありますが「なぜ閉店することにしたのか」に触れている本はほとんどありません。何故なら、本は希望や夢があるからこそ出すのであり、もはや閉めた後ではその意味が見出せないからです。しかし以前読んだ中でとても強い印象を残したカフェ関連本があります。『カフェをはじめたくなる本、カフェをやめたくなる本』塚本サイコ(著)山村光春 (著)。DESSERT COMPANYオーナーだった著者が店を閉めると決断した瞬間、胸が締めつけられました。
ところで『大坊珈琲店』の大半はお店にゆかりのある多くのお客さんの寄稿で構成されています。その中でも興味深いエピソードを寄せていた一人の名前を、どこかで見た事がある…と思ったのですが、ああ、だいぶ前にとあるカフェ関連イベントに僕も客の一人として参加し、自分で淹れた珈琲をその人に試飲していただいたことがあるのを思い出しました。その人は一口飲んだ後に僕をキッと見据えて「美味い!あなたはこのままカフェを開ける」と褒めてくれたのでした。もちろんサービス大盛りのお世辞だとは分かっているのですが、それがとても嬉しくて今でも自分の淹れた珈琲を「やっぱり美味いなあ」と自惚れながら愉しんでいます。
『ナイトフライ 録音芸術の作法と鑑賞法』冨田恵一(著)
洋楽に多少興味がある人なら、その音は聞いたことが無くてもジャケは見た事があるかもしれない、ドナルド・フェイゲン『ナイトフライ』。僕もこのCDは学生の頃から愛聴しています。『ナイトフライ 録音芸術の作法と鑑賞法』は、その作品が如何にして制作されたのか、録音テクノロジー面から解き明かしていくのですが、まさか楽曲解析が「フレーズサンプリングされたドラム」から入っていくとは思いも寄らず驚かされました。レコーディング当時に使用された最初期のサンプラーと言える「ウェンデル」については知っていたけれど、実はこれまで一度たりともこのアルバムを縦に流れているドラムが、プログラミングで調整されていると考えた事も無かったのです。背景となる時代考証を交えている箇所も興味深く、音楽が輝く要因としてのアルバムリリースのタイミングにはまた考えさせられました。もちろん、今ここで初めて『ナイトフライ』に触れる人には、そんな事はほとんど関係ないのですが。
『朝露通信』保坂和志(著)
この『朝露通信』を読んでいる時、あなたはきっと同じ子供の頃に目にした風景を読んでいる。僕もこの本の中に自分の子供の頃の景色を読んだ。
『タルコフスキー 若き日、亡命、そして死』馬場朝子(編)
『タルコフスキー―若き日、亡命、そして死』は、当時のタルコフスキーを知る親族・友人達のコメントを構成した内容になっており、幼少〜学生時代のタルコフスキーの意外な一面が垣間見られて大変興味深いです。ソ連という特殊な国と時代ではあっても、若者というのは世界に共通した何かを持っているものだと思いました。※実は『ストーカー』が未見のままです。
『永い言い訳』西川美和(著)
直木賞候補にもなり話題となった『永い言い訳』。家族の解体と再生の物語だけれど、解体した時に生じた欠損はもう戻ってこないという前提で、ではどういう形で再生出来るのか。作者の十八番でもある「嘘」は作家として登場する主人公から発せられることになるものの、以前の作品群のそれと比べて毒性は弱い。がしかし、もちろん本作では「嘘」に主眼が置かれているわけではない。
個人的には是枝裕和監督『そして父になる』へのカウンターになるのかも…という穿った期待で、既に撮影に入っているという映画版(当然、西川美和監督)に期待です。
『匿名芸術家』青木淳悟(著)
併録されている作者のデビュー作「四十日と四十夜のメルヘン」の前日譚と呼べばよいのか、『匿名芸術家』は、人を食ったようないつもの淳悟節で読み手を誑かすのだけれど、読み終えた流れでつい既読の「四十日と四十夜のメルヘン」を再読し驚いたのは、主人公が女だったという事。これまでずっと男だと思っていた…だってチラシ配りをしている女って見かけたことが無いのですよ。
『オルフェオ』リチャード・パワーズ(著)木原善彦(訳)
さて、次に何を読もうか…と近所の本屋さんをブラブラしていて表紙が目に留まり、帯に書かれた文章に興味を持って『オルフェオ』チョイス。微生物の遺伝子に音楽を組み込む…というのは面白そうです。何となく『ブラッド・ミュージック』を想起したりしたけれどSF要素は希薄で現実志向(本書はSF小説ではありません)、小説に出てくる楽曲はクラシックから現代音楽、ジャズからロックを経てオルタナティブに至る全方位の397曲。まさに「音楽小説」と呼ぶにふさわしい内容。ところでリチャード・パワーズって初めて聞く名前だったのですが、作風としては上述の青木淳悟のような情報てんこ盛りタイプで、冒頭の実験描写なんて普通の人には何をやっているのかワケ分からないと思う(僕はギリギリ『生物と無生物のあいだ』等、福岡伸一の著作を幾つか読んでいたので、主人公がPCR装置で何をしているのか分かったけど)。「時の終わりのための四重奏曲」のエピソードは読ませるが、個人的にはハリー・パーチにまつわるガードレールの落書きを巡る主人公の彷徨が良かった。
『21世紀の資本』トマ・ピケティ(著)山形浩生(訳)守岡桜(訳)森本正史(訳)
資本論の後、経済関連本としてベストセラーとなったピケティ『21世紀の資本』を帰宅時の電車内限定で読みました。誤解される人も多いと思うのですが、マルクス『資本論』も本書も共産イデオロギーには全く関係ありません。
がしかし、本書を巡る「税」に関する提言(累進資本税)は、そのまま政治をどう考えるかという事に直結するのです。財源をどう確保し、それをどう配分するかは、そのままその国を将来どのような姿で存続させたいと考えているのか、その基礎作りになる。ただ、国境を越えて自由に世界を飛び回るようになった資本をどのように捕捉し合意の元に課税するのかは非常に難しい問題として残されます。
ピケティは経済学を単なる経済数式オタクだけの学問に閉じこめるのではなく、他の学問と親密に連携し政治経済学として実効性のあるものにしなければならないと繰り返します。もちろん、社会科学の側にいる人達も著者のグループが時間をかけて揃えた統計的時系列データを積極的に自身の学問分野へ取り込むべきだとも。これはおそらく、過去の資本の動きを見据えて未来の動向を予測することが(ある程度は)可能だろうという自信の表れではないかと思えます(ただ本書内では絡んでくる要因が複雑なので「どうなるか全く分からない」のフレーズを繰り返してますが)。
20世紀には二度の大戦があり、それが資本の大きな変化を決定付けたけれど、おそらく21世紀には大戦は起こらない。となると資本が今の変化のベクトルを維持したまま、その行き着く先に待ち受けるのは…というのが本書のあらすじなのかな、と。いつか解説本なども読んでみたいと思いました。
異次元緩和は失敗だった。クルーグマンの『Rethinking Japan』を読む=吉田繁治(MONEY VOICE)
『ガラテイア2.2』リチャード・パワーズ(著)若島正(訳)
最近の人工知能ブームや去年観た『her』の刺激を受けて『ガラテイア2.2』を読んでみました。翻訳された14年前に(おそらく)STUDIO VOICEの書評で見かけて何度か本屋で手に取ったものの購入に至らず、気が付いたら絶版していたのだけれど、頭の片隅にずっと残っていたのですね。幸運なことに某リアル書店にまだ在庫があったのでそれを購入しました。
さて、人工知能モノとは言っても、では作成した知性的構造と思えるものに如何にして言葉を教えるか。当たり前の障壁が立ちはだかった時に気が付くのは「僕らは言葉をどうやって理解しているのだろう?」という自分達人間に対する疑問、そして「そもそも言葉って一体何?」という問いかけだったり。
ところで某リアル書店に取り置き願いする時、作者が上述『オルフェオ』と同じということに気付いて驚きました。ということは当然ながら情報てんこ盛りな作風なワケですが、執筆されたのが1995年と考えると(20年前!)、その情報の質の高さにまた驚かされます。
『遠い触覚』保坂和志(著)
僕は既に連載の一部がネットで公開されていたものに目を通していたのですが、一冊にまとめられるということで改めて『遠い触覚』を読んでみました。リアルな紙媒体に流れる文字はまたネットの横に流れる文字とは違った趣があって面白いです。ちなみに電子書籍版で小説の類いを読んだ事はまだありません(雑誌類はあるけれど)。
主にデヴィッド・リンチの『インランド・エンパイア』についての考察が中心ですが、著者が以前から小説の面白さについて語っていることを映画に応用させようとしているところに注目すべきなのかしら。ただ「インランド・エンパイア」は未見なので、現時点で何とも言えないのが…いつか見てみます。
『忘れられた巨人』カズオ・イシグロ(著)土屋政雄(著)
『わたしを離さないで』『日の名残り(←名作!)』に続いて久しぶりのカズオ・イシグロ最新作『忘れられた巨人』。たぶんこれまでファンタジー小説って読んだ事が無くて、SFの中でそちら側に近寄っているタイプは読んだ事があったかもしれないけど、でも本書はそんなにファンタジーな感じでもなかったような。まず異形の物と「言葉」を交わす場面が無いし。
しかしこれを読み進めている間、なぜ世間でファンタジー小説が多く受け入れられているのか理解できたような。まず差し出される謎が、作中の登場人物の回想などによってどんどん説明・解説されていくのですね。これは読んでいて「楽チンだわー」と思いましたし「早く次の謎を誰か説明・解決してくれないか」と他力本願に思ったりもしました。
ただ、ラストは映画好きな作者だけあって、言葉による説明無し、ビシッと画で決める構図で終わらせていました。この余韻は好きです。
『舞踏会へ向かう三人の農夫』リチャード・パワーズ(著)柴田元幸(訳)
先に読んだ『ガラテイア2.2』の中に、作者デビュー作である本書『舞踏会へ向かう三人の農夫』の執筆・出版に至る経緯がサブ・ストーリーとして挿入されていました。単体エピソードとしては興味深いものがあったものの、その絡め方がうまくいかなかったのか、全体の仕上がりに寄与するものが感じらなかったのだけれど、しかしそこで紹介されていた本書自体は非常に面白かったです。作者若干24歳の頃のデビュー作ですが、ここで既に圧倒されるような情報てんこ盛り状態。たった1枚の実在する写真(表紙)にインスパイアされ、これだけグローバルなスケールで20世紀を縦断する与太話をでっち上げ見事に組み上げてくる力量は凄い。
ところで「経済方面には疎い」としながらも、労働が生み出す剰余に対し、それを多くの労働者は何で埋め合わせしているのか?について書かれている箇所が出てきます。年の初めに「資本論」を読んでいたにも関わらずその発想は無かったと、ここは大きく唸らされました。ちょっと嫉妬した。
これでリチャード・パワーズ作品は今年3冊になるのですが、なぜ続けて読む事にしたかというと、得られる知識が膨大だからです。それを自分で探すのも、それ以前に自分が何を欲しているのか気付く事すら難しいところに、ただ読書するだけで向こうから情報がどんどん流れ込んでくるとは何と効率的なことよ。来年も続けて、翻訳済みの彼の作品は全て読んでしまう予定です。
『百年の孤独』ガブリエル・ガルシア=マルケス(著)鼓直(訳)
読んだ人が皆口を揃えて「オモロイ!オモロイ!」と言う『百年の孤独』を遂に手に取りました。人生初のGGM。当然「ホントにそんな面白いのかよ」と半信半疑で読み始めるわけです。冒頭の一文なんて、こんな大げさな倒置だと先が思いやられるな…とか思ったりしたわけですが。
ほんまメッチャオモロイやんけ。
これは面白い!なんでもっと早く読まなかったんだと後悔するくらい面白かったです。ツボは人それぞれでしょうが、僕個人的なところでは登場人物の経年劣化、世代間のいい案配の重ね合わせ具合、村の変貌、血の継承、名付けのいい加減さ、それらが見事な寸法の「時間」という入れ物に収められ、小さな村の一家族に流れた歴史がフィギュアのようなミニサイズで標本化されている感じ、というか。物語が特別面白いわけではなくて(いや、面白いけど)、その時間のミニチュア感(それを形成する文体含め)が素敵!と思いました。おそるべしラテン文学。
…という感じで適当にメモしました。それぞれ書き出すと延々と続きそうなので、あくまでテキトーな感じで。ところでいたる所にamazonのリンクが貼られていますが、もしレビューなどを読んで興味のある本があったら是非、お近くのリアルな本屋さんで探したり取り寄せ依頼したりしてください。本屋さん、無くなるとつまらない町になってしまいますから。
追記(2016.01.01)
放談ラジオは日記みたいなものでしたが、今後の読書や写真、つぶやきのような類いはflfl.meの「diary」カテゴリに載せていく事にしました。
2015-12-31 > 放談ラジオ