連載第101回
2015年10月19日
練馬アニメカーニバル2015覚え書き(ガンバの冒険&この世界の片隅に&モア)

 新宿から大江戸線に乗り込み、東京で暮らすようになって初の練馬区に降り立ったのは、練馬アニメカーニバル2015にて行われた『ガンバの冒険』放送40周年記念トークイベント『この世界の片隅に』公開まであと1年!記念トークイベントを観覧するためでした。

 ねりま。今回のイベントで初めて知って驚いたのは、練馬区がアニメーション産業を街をあげてプッシュしているということ。ただ、あいにくの空模様だったせいか、カーニバルと呼ぶほどには人出も少ない様子で、パッと見の華やかさにも欠け、「アニメのまち練馬区」と掲げているにしては先行き心許ない感じがしたのは、特にアニメーションに熱中する年頃をはるか遠くへ捨て去ってしまったオジサンが受けた印象として正直に書いておきます。思うに、クリエイティブを知らない官僚がただの思いつきで口に出したようなクール・ジャパンなんて失笑誘う標語を、もし本当に国が推し進める気があるのなら、アニメーション産業に関わってこの世に価値を作り出している地場産業の職人たちをこそ、地方公務員として雇い入れてはどうかと思ったり(財源確保の手段については他に譲る)。日本アニメ業界に限らず、およそカルチャー全般は嗜好が細分化しすぎてしまい、内需によって自力で経済を回していくことが困難になってきているのが現実なのですから。

 ところで御多分に洩れず、練馬駅周辺も他所と同じような駅前開発で個性のない風景をしていたのですが、コンサートや映画上映等々、多目的に使用できる会場となった練馬文化センターが、すぐ駅前にあることは羨ましいと思いました。僕の住んでいる街には、およそ「文化」と呼べるものが何も無くて、引っ越してきた時から駅前にあるお気に入りの本屋が無くなったら住んでいる意味もなくなってしまいそうです。いきなり長々と閑話休題で申し訳ない。

リアル野沢雅子さん!

 以前書いた記事のBD-BOXも未だ開封してないのだけれど、今回のイベントで久しぶりにガンバの冒険を見ました。チョイスされたのは下記の3話。トーク時間交えて2時間という限られた枠内で、的確なチョイスがなされていたと思います。ただ小学生なら大丈夫とは思うけれど、まだ小さな女の子にはキツイかもしれず、第2話が終わった時点で早々と退席していった前の席の母娘の判断はナイスだったと思います。ちなみに泣き出す子は居ませんでした(多くは中年以降の観客のようでしたが)。

上映内容

  • 第2話「ガンバ、船で大暴れ」
  • 第24話「白い悪魔のささやき」
  • 第26話「最後の戦い大うずまき」

 第2話を会場の全員で見終わった後に、ゲストである野沢雅子さんが紹介されました。会場の中央で一緒にスクリーンを見ていた野沢さんにライトが当たった際、前方にいた子供たちの振り返った時の笑顔がとても良かったです。舞台女優でデビューしたものの収入が少なく、声優を副業として生活し、やがて自信を持って「(女優ではなく)声優です」と言えるようになった話とか。実はCGで制作された現在公開中の『GAMBA ガンバと仲間たち』で、野沢さんが「ツブリ役」で参加しているとは全く知らず驚いた事とか。僕はてっきり主人公は野沢さんだと思い込んでいたのだけれど、しかしツブリという主人公を支える脇役を演ずるというのも感慨深かったり。ちなみにトークの合間に唯一「声」を演じてくれたのはガンバでも悟空でもなく、ど根性ガエルのヒロシだったのが笑えました。

 そして3話見終わった後に原口正宏氏の当時のアニメーション制作スタジオの歴史に関するトーク。今回の野沢さんと原口氏のトークに関連するテキストは絶版のLD-BOXもしくはDVD-BOX付録の「メイキング・オブ・ガンバの冒険」に、制作関係者へのインタビューにてより詳しく書かれてあるので、入手は難しいとは思いますが機会があれば読んでみてください。

「あしたのジョー2」と「名探偵ホームズ」を見る

あしたのジョー2

 上述の原口正宏氏のトークにて出﨑統監督による止め画カット演出、いわゆる「ハーモニー」についての言及があった流れで別会場に移動し、あしたのジョー2の第1話「そして、帰ってきた・・・」を見ました。おそらく最後に見たのは高校生頃の再放送だったハズで、いったい何十年ぶりでしょうか。TVアニメとは言え、当時としてはとても高いクオリティで今見ても見応えがありました。それにしても矢吹丈、相変わらずかっこいいですね。個人的には『宝島』最終回のラスト、ジョン・シルバーの止め画が最高にカッコ良くて心を鷲掴みにされた記憶があるのですが、もうほとんど見る機会が無いところで、こんな本が出版されました。最終回の白髪のシルバー、載ってるのかな!?だとしたら欲しい!

ハーモニーという世界 〜アニメが名画になる瞬間〜

名探偵ホームズ

 続けてTVシリーズの名探偵ホームズから第5話「青い紅玉(ルビー)」。これは当時から思っていたのですが、犬なのに何故ホームズはこんなにカッコいいのか。それが未だに不思議でなりません。犬ですよ、あの顔、どう見ても。そしてそれ以上に不思議なのはハドソン夫人もどうしてあれほど麗しく素敵なのかということです。もちろん女性として。でも犬なんですよ、どう見ても、あの顔は。しかしとてつもなく魅力があって、昔劇場で観た時はメロメロでした。そして脚本が片渕須直監督だと知って驚く(いまさら)。

「冬の記憶」を見る

 そして再び文化センター小ホール、片渕須直監督&こうの史代先生のトークイベントに移動。合間の映像上映は順に下記の通り。

上映内容

  • 『名犬ラッシー』第1話「ひとりじゃない」
  • 『花は咲く』アニメ版
  • 『この世界の片隅に』「冬の記憶」篇
  • 『この世界の片隅に』パイロットフィルム

 今回は片渕須直監督&こうの史代先生2人による化学反応が起きているような雰囲気があって、トーク内容も非常に濃く、脱線もあり充実していました。作品を作る行為が、知らず知らずの間にお互いの新しい創作活動へ影響し合っていた事に気付くというのは(「かっぱのねね子」への言及のところ)、物作りに携わる人間の努力が報われて歓びを得られることの1つではないでしょうか。

名犬ラッシー

 『名犬ラッシー』は初めて観たのですが、僕もこのツイートと同じようなことを思い少し考えてしまいました。プロットを先読みしようとしてしまう浅さ、というか。もっと気持ちがフラットな状態のまま作品と対峙する手段というようなものを、僕も一度考えた方が良いのかも。

 さて、制作裏話はちょっと考えられない衝撃の事実の連続で、まさに目が点になったというか。シナリオが出来てないから、とりあえずAパートにどんどん登場人物を投入していった>そうすればキャラクターが自然にストーリーを描き出すだろう…なんて、口あんぐり。

「花は咲く」PV

 さりげなく子猫に小魚をやるオジサンにグッと来た。

親と子の「花は咲く」 (SINGLE+DVD)

「冬の記憶」篇

 原作マンガがどのように解釈され動画化されているのか。僕は未読なので比較出来ないのだけれど、「冬の記憶」篇は声も音楽も全く無しの、無声字幕での上映。実は「全く音声が無い状態のアニメは成立するのか?」と前回のイベントからずっと考えていたのですが、図らずも今回それが実現した次第。で、水を打ったような静けさの中、少し引いてみればまるで実験映像試写のような状況なのですが、魅力あるキャラクターの表情と四肢の動き、それを的確な構図で捕らえるカメラの奥で描き込まれた風景が流れてゆくなか、字幕に合わせ脳内で勝手に子供のすずさんの声が聞こえてくる…。爆音上映会が流行の昨今、もしかしてこの弁士はもちろんBGMも無い、紛う方なきサイレントという真逆の演出で作品を構築するのもアリなのでは?と。動く絵から喚起される「豊かさ」から言えば、完全に音入れした状態と引けを取らないのではないか。まあ妄想はさておき、完成時にはどんな声で語りかけてくるのか楽しみです。個人的には船に乗って川を移動している時の、鳥と一緒に川面を滑っていくようなカメラに惹かれました。今どきの言葉で言えばドローン的というか。

追記 ー2015.10.9ー
 3日経った今も映像と共に彼らの声が聞こえてきます。字幕にあった台詞はほとんど忘れているのですが、妹(?)に絵を描いて見せている場面等々、それぞれの場面が「声が出ていた状態」で記憶されているのは今回の大発見です。

 制作途中の映像をイベントで逐次流すことについては、監督本人も冗談交じりで「本編が完成したときどうなるのか」とコメントしていましたが、僕自身もアニメ映画が完成にむけて走っている過程を追うのは初めてのことで、上述のようになるべく映画を観る時は事前情報を仕入れないようにしていても、つい先読みしようとしてしまう事との葛藤がそろそろ起きそうです。が、作品の宣伝・拡散には協力したい。監督自身、本作関連イベントを訪れたファンの呟きを毎回まめに大量リツイートしているところからして、たとえクラウドファウンディングで異例の記録を打ち出したとは言え楽観出来ない(フタを開けてみたら…という事態も)、まだまだ緊張感を持って臨んでいるということなのかもしれません。

宣伝ヤマモト氏

 『この世界の片隅に』パイロットフィルムは今回で3度目になるし、現在YouTubeで公開されている特報1映像を何度も見返したこともあって落涙することは無かったのですが、イベントが終了して観衆に感謝の挨拶をしていた「この世界の片隅に」宣伝担当ヤマモトカズヒロ氏の、感極まった男泣きにつられて最後の最後に貰い泣きした。

 結局泣いてしまった。