連載第52回
2023年6月11日
はたから見たVision Proの印象:何もない狭い部屋の住人にピッタリなPCではないか?

AppleがファンレスのMac miniを出さなかったのでVision Proについて適当な事を書く。

これと言って特に新鮮味の無い外見のパッと見の印象から、単純にVRとかARとか、その他のデジタルコンテンツ消費ガジェットだと思ったら、メチャクチャ突飛なコンセプト…ではなくて既に実動可能ハイテク満載のPCだった。なんだそれは。

音声はもちろんのこと、指先を使ったジェスチャーでアイコンを押したり、画面をスクロールさせたり、つまりはマウスやペンの代わりに仮想画面を操作できるんだとか。込み入った操作ができるんだから、レガシーなパソコンやスマホ、タブレットの代替となる「新しいカタチのコンピューター」という打ち出し方である。まさか、その方向で製品開発しているとは思わなかった。

部屋のディスプレイを一掃出来るのか

Vision Proでパソコンと同じ使い方が出来るのなら、このゴーグル1つで手持ちのディスプレイを一掃出来るのだろうか。例えば自分の環境で言えば、Mac miniに繋げているモバイルディスプレイ2台、10年落ちのMacBook Air、iPad Pro、iPod touch。どれも積極的に使っているわけでもなくなったので、ネット徘徊、メールチェック、Twitter、備忘録メモなどの普段使いなら、Vision Pro1台で全て事足りるのかもしれない。文字入力は音声か、仮想キーボードになるのか。

デスクトップパソコン用の外部ディスプレイとしても利用可能であれば、もう24インチとか15インチのPC用液晶モニターは不要になるのかもしれない。

また、仮想とは言えど空間に大画面を表示できれば、リアルな大型テレビを所有してガンガン電力を食われたり、場所を占有されるよりはマシかもしれない。

しかし、パソコンとして使いやすいのだろうか?

普段の日常では、Mac miniで週末にブログを書いたり、iPadでネット徘徊しながら興味のある記事に目を通したりしているけれど、たまに「音声でコントロールできれば良いのになあ」と思うことがある。どういう時かと言えば、「腕を持ち上げて、指を動かしたくないとき」である。マウスで操作するよりも音声で反応してくれたら楽だなと思う場合も多々あるし、横になって怠惰にiPadを眺めている時なんて、iPadを持って支えている腕がすぐ疲れてしまう。ゴーグルの形状ならだいぶ緩和されるだろうし、必然として指よりも音声コントロールになるんだろう。

最初の記憶は『ブレードランナー』でデッカードが写真を精査する際の音声による命令が「未来だなあ」と思った時まで遡るが、よく考えれば昔のTVアニメでも巨大ロボットは当たり前のように音声コントロールされていた。口頭による命令は、簡単な遠隔操作である。

でも指を使うらしい。

やはり指である。

iPhoneやiPadが登場し「指で画面を操作する」という方法が一般になって10年ほど経ったのだろうか。しかし今でも、画面のテキストを指で選択する際、どうしてもうまく範囲指定できなくて、メガネを額までずり上げて画面を顔面に近づけ凝視し、人差し指で何度も何度も液晶画面を突いて同じ行為を繰り返している姿を脳内で客観視するとき、ふと「俺って猿みたいだな」と冷めることがある。大きな操作には向いているけれど、コンピューターが得意とする細かな操作に「指」は大きすぎる。だからApple Pencilが出てきたのだが、それにしても「紙と鉛筆」へ再び辿り着くのに大きく迂回したものだな、と思った。そう言えば、Apple Watchというのもあったが、便利なんだろうか…。管理の手間が多くなっただけのような気もするが。

これこそ庶民に必要なものではないの?

そんな迂回を経て、能動的には不向きと分かり、Vision Proが受け身としてコンテンツを堪能、消費する用途に落ち着くのであれば、これこそ庶民の日常にピッタリと合致する、新世紀にふさわしい家電になるのではないか。今後、経済が衰退していく中で、昭和時代のような旺盛な消費意欲も起きず、日々疲れ果てるまで労働して生活費を対価として得、休日は無駄な出費をしないように部屋に引きこもる。そんな下層の穏やかな日常にこそ、このガジェットは相応しい。

台所と小さなソファ、壊れたピアノ。そこにVision Proがあればそれだけで大丈夫。
台所とソファ、小さな机と椅子。そこにVision Proがあれば大丈夫。
狭くて何もない部屋でも、楽しいコンテンツが提供されれば大丈夫。
もう本当に何も無くても大丈夫。

寝て起きるだけの、空っぽの部屋であっても全然OKである。殺風景で何もないウサギ小屋でもVision Proが色々な娯楽を与えてくれるはず。

AIの話題には全く触れなかったWWDC2023だが、キラーコンテンツは「雑談相手」になりそう

細やかな音声コントロールや指によるジェスチャーにストレスなく反応したとしても、やはり、このVison Proをメインの仕事で使うようになる未来は自分には想像し難い。馬鹿みたいに数多く搭載された各種高性能センサーを有効活用した、全く予想もしなかった新しいアイデアを元にした「何か」が生まれたら、どうなるかわからないけど。個人的には、Vison Proに非常に優れた「雑談相手」がAIによって提供されたら、それで満足してしまいそうである。今はもう、欲しいもの、見たいものはそんなに無いのだ。ところでSiriはどうなったのだ。

現時点で圧倒的にネガティブな要素

しかし誰でもパッと思いつく、この手のメガネ・ゴーグル系デバイスに持つネガティブな要素。

視力が弱い人には不向きではないか

10年以上前、「HMZ-T2」を試した際に、最も残念だったのは「メガネ必須」だった事。メガネonメガネではとても長時間、映画鑑賞には耐えられない。思えば、映画館で3D映画に全く興味を持たなくなってしまったのも、メガネonメガネが辛いからである。普段装着しているメガネなら大丈夫だけれど、さらにそこへ重さが加わると、鼻や耳など頭部に接触する部分が痛くなる。もしかしてVision Proは裸眼対応するのだろうかと期待していたが、視力が悪い人はカール・ツァイス製の補正レンズを別途追加購入しないといけないらしい。追加レンズは仕方ないとしても、なぜカール・ツァイスなんだよ、高いよ。ウィリアム・ギブソンのスプロール3部作の世界でキーアイテムにもなったツァイス製の高級な人工眼球でも意識しているのだろうか。

べらぼうに値段が高くて全く手が出ない

カール・ツァイスのレンズを加えて、総額50万円を超える「仮想大型テレビ」を購入する余裕が、この先の日本の庶民にあるとは思えない。もし端っから富裕層向け製品だと設定しているとしたら、このガジェットに乗っかった開発者は、富裕層向けユーザーが欲しがるようなアプリやサービスを提供するために頑張るのだろうか。販売台数がどれくらいになるか全く分からないけれど、普及台数によっては開発費とアフターサービスをペイするために月額3万円のサブスクリプションを請求することになったりするのかもしれない。一体どんなサービスなんだ?

不謹慎であるが、他者を遠隔で攻撃する、という軍事目的での活用が想定されるのかもしれない。これは開発費を短期間でペイ出来そうだが…当然ながら戦争反対!

多くの矛盾を孕んで発進するVision Proが肯定される社会とは

さらに「僕はアップル様が嫌い」カテゴリーの趣旨で書き進むのだけれど、自分は出自も現状も庶民階層なので「部屋に何も無くてもこれだけあれば外国に行った気にもなれるし、ソファに横になったまま大画面で映画も見られるし、口を開けっ放しのままぼんやりネットを見続けられるし、最高じゃないか!」という捉え方しか出来ず、本気で庶民向けガジェットだと思っている。しかし実際にこれを買うことが出来るのは、初物にも余裕でお金を出すことの出来る一部の富裕層だけである。

この矛盾よ!

もしかしたらそこに不幸が潜んでいるかもしれない。上で映画『ブレードランナー2049』の画面を引いて、かなりディストピア的な光景を想像してみたけれど、この先、それが現実になりそうな道を日本はまっしぐらに辿っていて、大きく外れないと思っている。

富裕層はこれまで通り、海外に行きたければ長期休暇を取って遠出し、リアルなライブを楽しみたければ高額なチケットを購入してスタジアムに観に行き、大音響で映画を楽しみたければ劇場に足を運ぶだろう。それが正しい贅沢のあり方である。是非そうして経済の回転を下支えして欲しい。ケチってゴーグルで代替することもない。

このままでは庶民は高価なVision Proを購入することは出来ない。しかしリアルな体験が叶わない庶民にこそこの高額なVision Proが見せてくれる束の間の安寧の時空間が必要である。この矛盾を短期間で解消するには、政治を変えるしかない。いきなり飛躍した。この文章内で大きく飛躍しているのは百も承知だが、この数年であっと言う間にどんどん生きづらくなって、このままではちょっとマズいんじゃないか?と政治に無関心な市井の人も薄々危機感を覚え始めていると思う。
この新しい形態のコンピューターが、庶民にも気軽に購入できるような手頃な価格帯に降りて来るまで、おそらく20年はかかるのではないかと思うし、自分はそこまで生きていないだろう。だから、政治を変える方が断然早いのだ。「パパはもっと仕事頑張っちゃうぞ!」「ママも一緒に仕事頑張るわよ!」と政治無関心家族が張り切ったところで、頑張って増えた部分はそっくりそのまま、今後引き上げられる増税分で吸い上げられるだろう。それでは全く報われないではないか。

でもまだ変えられる。まだギリギリ間に合う。我ら庶民にこそ、狭くて小さなウサギ小屋に住まう者どもにこそ、穏やかな生活に寄り添った新しいビジョンを。まずは簡単なところで消費税廃止から進めたい。毎日が10%オフ。