ようやく猛暑や酷暑と呼ばれる日々のピークが過ぎ去り、朝がひんやりと感じられる頃合になったので、今年の夏を振り返っておきます。昨年の気温上昇のカーブの傾き方を見れば、今年の夏に各地で40°Cを連発するのは予測できたと思います。
ちなみに上図のレイモンド(赤いパーカーを着た人)のキャプチャーを撮っていた、昨年2024年10月17日帰宅後の夜のアパート室内では「27°C」だったと、その時のレイモンドが動画内で発言しています。本ブログ記事を書き始めた日は9月下旬だったけれど、その日の室温は最高35°Cまで上がりました。9月は当然のように真夏であるし、当ブログでも以前から幾度も書いているように、すぐそこに来ている10月もまた夏である。3年前の2022年の夏に撮影した温度計で38°Cを示しているから、確実にこの傾向は今後も続いていきます。
今年は最高室温39.5°Cを記録
今年はなんとなく体調が落ち着いていたので「行けそうだ…」と感じたところもあり、エアコン無しでどこまで行けるのか試してみました。こまめにメモを続けていたところ、遂にこれまでの最高室温「39.5°C」を、2日ほど記録しました。幾度か40°Cを測定したという全国ニュースがTL上に流れていた時期で、東京の室内でもそれに近い温度を実際に体験したわけですが、40°Cの酷暑とはこれにあと0.5°C加えた感じか…と思い巡らせならが、もし直射日光が当たっていたら何°Cになるのだろう?とか、屋外で炎天下の状況だと意識を失うかな、とか考えたりして、サーキュレーターの風を全身に浴びていました。熱風だけど。
とりあえず、今このブログを公開出来ているということは、猛暑の中を生き延びる事ができた…ということなのですが、これは「僕の温暖化対策」で書いたように、リチャード・リンクレイターみたいな「18年」という長期的視野の人体実験が功を奏した…と素直に喜ぶ事が出来ないのは、実は昨年、エアコンの電源を入れたからです。
健康体でしか温暖化を生き延びられない(尿管結石の激痛再び)
昨年の6月、いつものように何の前触れもなく突然、「生きているのを止めたくなるくらいの激痛」が数年ぶりにやってきました。普段なら座薬を仕込んで半日もすれば結石も排出されて収まるのですが、その時はかなりしつこい症状で、数日痛みが取れず、ただ横になって我慢している間にもどんどん体力が失われていき「この暑さの中、更に症状が酷くなって身動き出来なくなったらやばいな」と考え、17年ぶりにエアコンのリモコンを手にして電源を入れようとしたら、電池が切れていました(当たり前ですが)。予備の充電済みのエネループに入れ替えても反応しないので「?」と思い、しばらく痛みに身体を震わせながら考え込みました。そこでどうしてそう気付いたのか分かりませんが「もしかして、eneloopって電圧低いんじゃないか?」と閃き、手持ちのテスターで計測してみると、何と仕様で「1.2V」しかありません。リモコンを稼働させるには「1.5V」必要なのです。その日は諦め、翌日近所に電池を買いに行き、無事リモコンが点灯するのを確認しました。しかし、問題はエアコン本体が動くかどうか?です。17年間、全く電源も入れず(ブレーカーからOFFにしていた)に放置していたエアコンが動くのか?恐る恐るリモコンの「電源入」ボタンを押すと…。
うお…っ、動いた。
この時はさすがに「日本製品、スゴい」と思いました。しばらく待っていると、次第に冷気のようなものがスリットから吹き出されてくるようになりました。「いや、最初だけ安堵させて、いよいよ室温が上がってきたタイミングで壊れるオチなんじゃないか」といつもの悲観的な自分が出てきて過度な期待は控え、とりあえず様子を見てみたところ、安定した動作を継続し、その日このエアコンは己の任務を無事果たしました。結石の痛みはその後も落ち着いたり、再発を繰り返したりして、今まで体験したことのない長期戦となりました。
そして忘れもしない、7月7日の東京都知事選。その前日の夜中にまた左横腹の激痛で叩き起こされました。痛みは脇腹の尿管を下り、やがて石は膀胱に落ちたらしく、言葉では表現出来ない痛みが続きました。投票日もまだ痛みは続いていましたが、正午過ぎに若干痛みが落ち着いたところで出かけることにしました。この時の室温は31°Cで、実はそんなに大した気温ではなかったのですが、投票場へ向かう道すがら、まるでサウナのような暑さと息苦しさ、強い疲労感を覚え「もしかして途中で倒れて気を失うかもしれん…」と本気で思ったのです。なんとか無事、投票を済ませて帰宅することができたのは運が良かったとさえ思いました。つまり、暑さや寒さを耐えしのぐには、健康な身体あっての事だと改めて実感しました。
今夏の暑さは「10年に一度」じゃない
メディアがトランプ程度のアホなのか、それともアホな大衆を釣るにはこう書いておけばいいという「コンテンツとしての猫」同様に安直に使いまくられているのか「10年に一度」という文言を今夏は幾度見かけたか分かりません。しかし多くの人はもう気付いていると思うのです、これは10年に一度で済むものではないと。僕個人は、今後継続的に気温が上昇していく暗雲たる未来を想像して、文字通りの「恐怖」を覚えます。地表に出現するのは地獄だからです。そんな今年の夏、うだるような暑さの狭い部屋でぼんやり頭の中に浮かんだ事柄を幾つか。
▶︎全くヤル気が出ない
中学生の頃、なぜ南半球は発展途上国が多いのか?なんでもっと上を目指して研究開発や労働に勤しまないのか?と疑問に思っていたのですが、その答えは今夏、実感を伴って理解できました。日本も近いうちに後進国入りすると思います。
▶︎蝉の鳴き声がしなかった
これは近所の木々が切り倒され(自分は投票しなかったのに当選しやがった小池東京都知事が推進しているように)、舗装された駐車場になったり建売住宅になったりしたこともあるのでしょうが、ほとんど蝉の鳴き声がしませんでした。暑さが原因しているのか、単に地表に出てくる周期がズレたのか分かりませんが、もし暑さによって生息数が減少しているのなら大事です。何せ、蝉は未来の貴重な動物性タンパク源としては有望株だったハズ。人間はあらゆる手を尽くして生き延びようとするでしょうが、野生の動植物が先に死滅しそうです。食糧とする家畜を冷暖房完備の施設で飼育するというのも全く持続性が無さそう。
▶︎トウモロコシコムギに期待するものの、不味そう
温暖化に備えて、僕はまず自分の身体をそれに合わせる方向で攻めてみたのと同様に…と言えるのかどうか分かりませんが、高温状態に耐性のある食物を作ってしまう試みは、昆虫食同様に興味をそそられます。果たしてトウモロコシコムギはどんな食感、風味を持っているのか?いや、僕は不味くても大丈夫、人間飢えれば何でも食う。ただ、水不足が来ると詰む。
▶︎温暖化で芸術は変化するか?
今後、確実に時代が変わります。それも「昔、そういう時代があったよね、その時の民の知恵を使おう」という手がまるで使えない、全く人類が経験したことのない状態に陥ります。「やる気が出ない」のと並行して、あらゆる分野で生産額が下落していくし、もちろん消費も急速に減退していく。そんな中で文化、エンターテインメントはどうなるのでしょうか?邦楽でも意外に念仏がわりのラテン系が流行ってくるかもしれませんし、文学でも「温暖化文学」みたいなジャンルが突如出現するかもしれません。ところで今、これを書いている時点で面白そうだと期待しているのが、ニール・スティーヴンスンの新作『ターミネーション・ショック』。まあ、SFなんですが、テーマが地球温暖化に対抗する人々ということらしい。あらすじに目を通すとかなり大味っぽいエンタメ風味な感じがしますが、果たして解決策を見い出し大逆転するのか、それとも抵抗虚しく滅亡の道を歩むのか。先月はウイルスで地球上の人類が全滅するという、とても潔い小説を読んだばかりなので、綺麗さっぱり人間がいなくなるエンディングでも大丈夫。
2025-09-30 > 放談ラジオ


